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zoom RSS 【東京新聞・社説】  『公共』は国境を超える

<<   作成日時 : 2007/01/14 11:11   >>

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 今日の社説は、現今の「公」に関わる議論を提示している。「公」というものが、国家的公共性に収斂させられている傾向が強くなっている現在、このような議論の提示はきわめて重要だと思われる。


 
改定教育基本法に「公共の精神」の言葉が盛り込まれました。国家の枠にとらわれず、身の回りから、地球規模まで視野に入れた「公共」を考えたいものです。

 「コモンズの悲劇」というエピソードがあります。

 コモンズというのは、英国の農民らが慣習的に共同利用してきた共有地とその仕組みのことです。

 たとえば、ヒツジを飼う放牧地があります。農民たちが共同利用しています。そこで、ある農民が自分のヒツジを一頭増やしたとします。当然、資産が増えて、得をします。

■「コモンズ」の悲劇とは

 では、農民みんなが得をしようと、次々とヒツジを一頭、また一頭と増やしたらどうなるでしょうか。

 えさとなる牧草はどんどん減って、ついには、その牧草地は滅んでしまいます。米国の生物学者ハーディンが一九六八年に問題提起した「悲劇」のかたちです。

 日本にも古くから「コモンズ」はありました。山や川などの資源を村の人々で共有する、いわゆる入会(いりあい)権の形で、今でも残っています。

 地方地方でさまざまな形態の違いはありますが、山の所有者は主に、そこに生える樹木を所有します。でも、山に入れば、枯れ木が落ちていたり、キノコが生えていたり、動物たちが生息しています。それらは村人が、それぞれ自分のモノにできるという慣例が入会権です。

 「総有」という言葉もあります。村人たちが共同で山を持ち、森がもたらすさまざまな恵みを村人がそれぞれ享受するわけです。山は「みんなのモノ」でもあるし、「自分のモノ」でもあるわけです。

 でも、ハーディンが心配したような「悲劇」は起こりませんでした。それは村の人々が、山や川の資源維持を何より大切な倫理規範としたからです。

 それこそが「公共」の世界でした。村人は山の恵みをむやみに乱獲したりはしませんでした。お互い守り合った暗黙のルールこそが、「公共の精神」でした。

 かつては「結(ゆい)」と呼ばれる共同作業の制度もありました。上から押しつけられた「公共の精神」ではなく、「みんなのための公」でした。

■教育勅語が強いた「公」

 しかし、「公」の文字は、「みんなのため」ではなく、「お上」や「国家」の意味でも用いられます。

 古くは律令(りつりょう)制時代に「公田(くでん)」と「私田」がありました。「公田」とは国家に直属する田んぼでした。今でも「公用車」といえば、「みんなの車」の意味ではなく、「役所の車」のことです。

 明治から終戦までの近代日本は、そうした国家主義的な「公」を強化する歴史を積み重ねました。天皇を中心とした国家体制に国民を組み込む理念として、子どもたちに「公」の文字が教え込まれました。

 その典型的な役割を果たしたのが、「教育勅語」です。その中にこんな一節があります。

 《一旦緩急(いったんかんきゅう)アレハ義勇公ニ奉シ》

 要するに非常事態が起これば、義勇心を発揮し、「公」である国の安全に奉仕しなければならない。命を投げ出してでも、「お国のために尽くせ」という意味でしょう。「滅私奉公」が唱えられた時代です。

 安倍晋三首相が考える「公」も、国家そのものでしょう。なぜなら、著書の中で太平洋戦争末期に死んでいった特攻隊の若者を例に引き、こう書いているからです。

 《彼らは『公』の場で発する言葉と、『私』の感情の発露を区別することを知っていた。(中略)愛(いと)しい人のことを想(おも)いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである》

 ここで語られる「公」とは、「公=国家」です。しかし、この国家たる「公」と改定教育基本法に盛り込まれた「国を愛する態度を養う」という徳目とが結びついて、“連鎖反応”を始めると、戦前の愛国教育と似た構造になりはしないか。そんな危うさが漂っています。

 むしろ、今の時代に必要な「公」とは、「みんなのための公」です。

 市場主義や競争主義という価値観がなだれ込んで、日本は弱肉強食型の社会へと変わってきています。

 格差というより、貧困が社会問題化しています。他者を踏みつけてでも「勝ち組」になろうという精神がはびこると、人と人との信頼や連帯は駆逐され、社会はぎすぎすします。私利私欲が幅をきかせます。

 そんな時代こそ、お互い助け合う「公共」をつむぎ直さねばなりません。個人と社会をつなぐ役割は、NPO法人(特定非営利活動法人)などが果たすでしょう。福祉やまちづくりなどの身近な「公共」や、環境、人権、平和など、地球規模の「公共」の場面で活動しています。

■奪い合えば滅亡の恐れ

 地球温暖化や食料危機が心配される今世紀です。資源は限りあるものです。奪い合えば、争い、そして滅びます。国家の枠を超えた「公共」の理念を構築しておかないと、ハーディンが問題提起した「コモンズの悲劇」を迎えかねません。

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