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help リーダーに追加 RSS 永遠の眠りにー溝口正氏のこと

<<   作成日時 : 2007/05/12 21:56   >>

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 永遠の眠りについた溝口正さんのお顔は、無限の時空のなかで何事かを考えておられるようにみえた。

 浜松市で、長い間平和憲法の擁護を訴え続けた溝口正氏(以下、溝口さんと記す)が、本日0時31分亡くなられた。亡くなられた、とするよりも、溝口さんは無教会派のクリスチャンであるから、「昇天」されたとしたほうがよいのかもしれない。昨日と今日を分かつ午前0時、溝口さんの呼吸がとまり、同31分心臓が停止したという。享年80歳であった。

 溝口さんは、かつて軍国少年であった。1944年掛川中学校(現在の掛川西高)を卒業と同時に陸軍士官学校を受験、しかし肺門リンパ腺炎と診断され断念。しかし翌年8月岐阜迫撃砲第14大隊に入営。しかしその後すぐに終戦となる。軍国少年だった溝口さんは、自らの価値観の崩壊に立ち会う。悶々とする中、溝口さんは矢内原忠雄の『嘉信』に出会う。山の中で苦しんでいるときに、溝口さんは、この頃神と出会ったと語っていた。
 
 静岡大学を卒業し、浜松盲学校の教員となる。以後28年間盲学校、そして県西部養護学校、そして聖隷高校と、教員生活をおくる。その一方で、『復活』を毎月発刊。聖書研究、その時々の政治社会情勢に対する時論などを書き続けられた。

  また、日本国憲法に信教の自由があり、そのなかにはっきりとした政教分離が掲げられているにもかかわらず、地域の自治会が地元の神社と密着(一体化)していることに疑問をいだき、政教分離裁判を提訴する。その裁判については『自治会と神社』(すぐ書房)に詳しい。

  1964年からは「浜松市憲法を守る会」を発足させ、毎月一回憲法擁護を訴える街頭行動(デモ)を始めた。それは現在も続けられている。

  私と溝口さんとの出会いは、静岡県近代史研究会の例会に来ていただき、「政教分離」問題について話していただいたときからである。その時以降、溝口さんからいろいろなことを相談されたり、参加をうながされたり、交流はもう20年以上になる。

 溝口さんは清廉潔白、まったく「純」であった。溝口さんの主張はいつもストレートであり、きわめて原則的であった。「その通りだけれども、しかしなかなか現実はそうはならない」と思ったことがしばしばあった。
 現代社会の不条理を何とかしようという意欲はとても強く、無宗教の私などは、信仰を持っている人は強いなあと感嘆したものだ。

 その反面、きわめて包容力があった。平和や人権をおかそうとするものに対してはきわめて強い意志を示すが、そうでないとき、たとえば人から相談を受けたときには優しく接していた。

 溝口さんは、私にとっては「軸」であった。私自身は柔軟に対応しようという姿勢をもつが、時として柔軟にすぎてしまうことがある。しかしそんな時、溝口さんのまったくぶれない姿勢が、 私にとって「範」となっていた。

 溝口さんは、かつての軍国少年として国家に魂をだましとられたという経験から、憲法の平和主義の行方にもっとも敏感であった。現在、改憲の動向が強まっているが、どこからどうみても、改憲の目的はアメリカと一緒に軍事行動を展開しようというものだ。

 このような動きが強まっているとき、溝口さんの心境は心穏やかならずであっただろう。

 私は、キリスト教式の「前夜式」に参加し、溝口さんの遺志をきちんと継いでいこうと決意した。別に取り立てて継ぐというのではなく、反戦平和は私自身の生き方でもある。私自身の生き方を生きることが、遺志を継ぐということである。

 私は、無限の時空に思いを馳せているようなお顔の溝口さんに、「お疲れさまでした。ありがとうございました」と別れを告げた。

 福祉と平和を希求し、信仰に生きた溝口正、2007年5月12日0時31分、昇天す。



 
  

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