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『UP』(東大出版会のPR雑誌)に、時々豊崎の書評が載る。これがめっぽうおもしろい。あまりメジャーな本はないのだが、豊崎の文は、紹介されている本の魅力を、それこそ魅力的に書くのだ。だから、読みたくなってしまう。あまり読んでいないが、豊崎が紹介した書名は、私の手帳にしっかりと記されている。 さて、この本は、この百年間にベストセラーとなった本を、2人が読み込んで、褒めるべきは褒め、けなすべきはけなすというきわめて痛快な対談を掲載したものだ。ときに吹き出し、ときに「この本にこんなことが書かれていたっけ」ときに「その通り」と快哉を叫んだり・・・・・本読みに参考になること請け合いである。 へえ、『金色夜叉』は、「今になっても読むにたえる、これは傑作」なのか。芥川の『羅生門』は、「映像的」なのか。芥川は、「国語の教科書から、漱石とか消えつつあるらしいですけど、芥川だけはなんとか死守してほしいものです」という主張に、賛成だ。僕は、漱石と芥川の全集を持っている。芥川は、いい。ちなみに鴎外も持っているが、これはほこりまみれになっている。 志賀直哉の『城之崎にて』は、適当に書いているとしか思えない、などという。「小説の神様」になんてことを言うのか、と思いつつ。もう忘却の彼方、どんな話しだった? 佐藤春夫は「怠け者」なんだって、この人のは読んだことがない。武者小路の『友情』は、トンデモ本に近い、文意の通らない箇所が抜き書きしてあるが、たしかにこれは悪文。しかし読んだときには気づかなかった。読んだのは、ずっと前だけど。 宮沢賢治は「文章自体が素晴らしい」「構成も考え抜かれている」・・・とベタ褒め。これもちくま文庫の全集を持っているから、そういう眼で読んでみよう。 1930年代は、堀辰雄、永井荷風が評価されている。高校生の時、堀辰雄で文庫になっているのはすべて読んだ。弱い太陽光線のもとで展開される話しだ。「すべての人が読むべき、ほんと素晴らしい作家だよね」とある。 もう一度読み直してみよう。 谷崎の『細雪』も褒められている。私は一事谷崎に凝ったことがあったが、なぜかこれだけは読んでいない。「最高級の文学」と書かれている。読まなくちゃ。 1950年代は、三島の『潮騒』、深沢七郎の『楢山節考』、石坂洋次郎の『陽のあたる坂道』の評価が高い。『潮騒』は、「巧いよね、比喩、描写、構成、文章のセンスが。天才的」。「万人が、とくに高校生くらいの若い人が、上手な文章とはどういうものか、ぜひ読んで知るべき一冊です」。深沢のそれは「「凄み」のある傑作」。 1960年代は、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の評価が高い。曾野綾子の『誰のために愛するか』は、徹底的に批判されている。曾野綾子の文は、粗いと私も思う。なぜ曾野が作家として存在しているのか疑問に思っている。 1970年代で評価されているのは、「いざや、便出さん」の『日本人とユダヤ人』、有吉佐和子『恍惚の人』、遠藤周作『ぐうたら人間学』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』である。ただ読んでいて、『日本人とユダヤ人』についての無理解がある、この本のユダヤ人理解はきわめて杜撰であることが、証明されている。それをこの2人は知らない。 まだまだ紹介されているけど、このへんでやめよう。最近のベストセラーは、軽いものが多い。おそらく「古典」といわれるようなものにはならないものばかり。 「古典」といわれているものを、しっかりと読もうと想った次第です。 |
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