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zoom RSS 生み出せないことば

<<   作成日時 : 2012/03/21 17:31   >>

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 『週刊朝日』の臨時増刊号である『朝日ジャーナル』を購入した。そこに掲載されている論考に、触発されると同時に、新しい知識も得ることができた。
 
 だが一つ、そういう積極的なものが感じられない文もあった。それは「いま、わたしたちが生み出す言葉」という、開沼博の文である。

 この文の末尾に、開沼は、「他人事としてではなく、キレイ事としてではなく、言葉を生み出していかなければならない」と書いている。だが、おそらくそれは無理であろう。開沼には、そういう言葉を生み出すことはできない。

 なぜなら、この文は、アンニュイ的な気分を背景にしたアイロニカルな筆致で満ちている。アイロニーが向けられる対象は、反原発運動を長い間担ってきたルポライターである鎌田慧、そして「良識派知識人」と開沼が規定する人士たちである。

 だが今、「良識派知識人」に対して皮肉っぽい言葉を投げつけても、何の意味もないことに、開沼は気づくべきだ。

 開沼は「40年前からある反原発・脱原発の社会運動が原発を止めていたら、こんなことになっていない」と書く。その通りだ。だが開沼が、ここで綴る文字群により何かが変わるというのか。「私はもちろん、状況が維持され、何も変わらないことを望んでいるわけではない」というのなら、こういうアイロニカルな文を書くのはやめて、反原発を叫んでも、「その根底にある構造は何も変わらず、そこに生まれる問題は、カタチを変えながら襲い続けるだろう」と記しているように、その「構造」や襲い続ける「問題」と格闘することこそが求められるのではないか。

 私は、『「フクシマ」論』を書いた開沼が、このような、過激な言い方であるが「駄文」を公表したことに、驚きあきれている。

 こういう文を書く状況の中では、「生み出すべき言葉」は出てこないだろう。

 開沼の前に、外岡秀俊の「原発の「隠されたアジェンダ」」がある。反原発や脱原発の前に、きわめて重い問題が横たわっていることを指摘したものだ。

 開沼には、そういう重い問題、「こうである」をもとに、「根底にある構造」を提示して欲しいと思う。



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