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zoom RSS 【本】伊藤守『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社新書)

<<   作成日時 : 2012/04/20 12:51   >>

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 昨年3月11日、東日本大震災に引き続いて福島第一原発事故が起きた。テレビニュースを見ていた私は、あまりに政府発表のみならず、テレビメディアの報道のひどさに唖然として、別のブログ(goo)で原発事故についての情報を流し続けた。
 
 そのブログには、多くの人々からアクセスがあり、私自身も驚いたほどだ。

 さて、この本は3月11日から1週間、テレビは何を報道し、何を報道しなかったのかを検証したものだ。すでにテレビや新聞などのマスメディアの信頼性が疑われて久しいが、この事件の報道はそれを決定的にした。とくにテレビメディアは、政府情報の垂れ流しで、信用できないものだという認識が大きく広がった。

 今、放射能汚染に関する食品の安全基準について、人々が「信用できない」としているのも、その頃につくりあげられた認識であり、その認識は正しい。

 さてその報道であるが、伊藤氏は繰り返して次の事実を突きつける。

 「「ただちに健康に影響はない」との政府発表を流しながら、他方で自社の社員には「危ないから入るな」と指示する自己矛盾のなかで、テレビは放送し続けたのである」(243頁)

 今もってテレビメディアは、この自己矛盾を検証することをしていない。していない以上、「信用できない」という状況は続く。おそらく彼らは検証はしないだろう、なぜならば彼らは視聴率を稼ぎ、広告料を多額にして経営を安定させることしか考えていないからだ。もう「報道機関」としての役割は、はなから放棄しているといってもよいだろう。

 さて国営放送であるNHKをはじめとしたテレビメディアが、どう報道したのかが逐一文字によって描き出される。そこにはアナウンサーだけではなく、解説者(ほとんどが「原子力ムラ」の住人で、できうるかぎり事故を軽く見せようと努力していた人々)などが何を語ったのかが記されている。ほとんど間違いであった。

 私は誤ったことを平気で垂れ流していた「原子力ムラ」の学者達が、今もって平然としていることにあきれてしまう。自らのふがいなさを恥じるべきであるし、責任ある部署(政府委員など)から引き下がるべきだと思う。

 そして何を報道しなかったのかを問うて、「不作為の責任」を指摘している。たとえばSPEEDIの問題。NHKの科学担当は、当然知っていただろうに、これに関して追及もしなかった。

 また学校の許容量を20_シーベルトにしたことに対する福島県民の追及、それに対する政府担当者の無知と居直りを、マスメディアは伝えなかった。

 これに対して、インターネットは、こうした犯罪的な政府やマスメディアの姿勢とはまったく別に、情報を入手し、それをより多くの人々に知らせようとした。そしてその情報のほうがより正しく、より有効であった。

 ただ残念ながら、インターネット環境に多くの人々があるわけではない。またたとえそういう環境にあったとしても、情報を入手する手段として利用している人々は多くはない。

 しかしいずれにしても、インターネットの力が、今回ほど試されたことはないと思う。そうしたことも、この本には記されている。

 是非読むべきだと思う。

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