全国的に注目された大井川中流域住民の「水返せ」運動

 1980年代後半、大井川の水利権をめぐって大きな運動が巻き起こった。大井川中流域住民による「水返せ」運動である。

 大井川発電所、大間発電所は、1988年(昭和63)3月末日、久野脇、川口発電所は1989年3月末日、それぞれ水利権の更新期を迎える(いずれも中部電力の発電所である)。その更新期にあわせて、川根三町の住民・行政は、「水返せ」運動を展開した。というのも、大井川河原に水はほとんど流れていない、発電所をつなぐ地中の導水管内を通っているため流水は姿を現さない、その結果河原には広々とした「砂漠」がひろがるという悲惨な状況が続いていたからである。

 この「水返せ」運動は、中川根町の現代史に大きな位置を占める。全国的な注目を浴びたからというだけではない。運動により、きわめて不十分ではあるが一定の成果を得たこと、そして1988年(昭和63)7月に建設省(現在の国土交通省)から「発電水利権の期間更新時における河川維持流量の確保について」という通達を出させたことに見られるように、国家の政策に一定の影響を与えたからである。
 しかし、だからといって問題が解決したわけではない。現実の大井川の河原を見れば、それは明らかである。いまだ「河原砂漠」はなくなっていないからだ。

 21世紀には、環境問題が大きな注目を集めることは必至である。住民にとって破壊された環境を回復することがいかに重要であるか、同時にそれをどう回復していくのか、その問いに対する一定の回答をここで示すことができるのではないかと思うからである。

 「水返せ」運動をさかのぼるとき、それはもちろんダム建設に行きつく。中川根町にとっては、総力戦体制下の久野脇発電所の建設である。それを前提にしながらも、具体的に地域からの要求がだされるようになったのは、1975(昭和50)、6年頃である。いくつかの陳情書、意見書がだされた。また長島ダム建設問題を契機として、地域住民からの「水返せ」という声が高まった。その中で、1976年12月には、静岡県と中部電力、東京電力による流況改善対策の暫定的措置として、塩郷ダムからの放流についての協定が調印された。

 またこの地域は頻繁に洪水に見舞われていた(とりわけ1965年9月の台風24号の被害は甚大であった)。塩郷堰堤上流部の土砂の堆積が原因だとして、河床対策を求め意見書をを提出した。

 1985年(昭和60)からは「水返せ」の声に対応して、建設省は中部電力、県、地元三町長などと「大井川中流域検討会」を設置した。198年12月、検討会は「大井川中流域検討会総合報告書」を提出するが、実際に報告書をまとめたのは「(財)国土開発技術研究センター」(現在(財)国土技術研究センター)であった。この研究センターの性格や検討会の構成メンバーなどから判断すると、報告書は住民サイドに立ったものとは言えない。というのも、地元住民の経験を踏まえた議論がなされなかったからである。

 ところで中川根町は、この問題に1984年(昭和59)から取り組み始める。翌85年12月には大井川問題対策準備会を設置、1986年1月には京都の国土問題研究会に調査を依頼、同年2月、「久野脇発電所・川口発電所水利権更新期対策協議会」を発足させた。
 国土問題研究会は、1986年12月「中川根町大井川防災環境問題」と題する中間報告を行い、さらに翌年6月「大井川中流域の防災及び環境改善方策に関する調査研究」を発表した。
 この問題について二つの報告書が作成されたことになるが、住民は検討会の報告に納得せず、様々な取り組みを行った。

 結局、この運動の結果としてわずかではあるが、放流量を獲得した。しかし、最初に記したように、それでも大井川河原には砂漠が拡がっている。

 この運動については、新聞紙上でも、あるいはテレビでも何度も取り上げられた。運動の担い手も、川根三町や議会、地域住民、それだけではなく、モアラブ川根ふる里づくりの会などの住民組織、県内の研究団体である静岡地理教育研究会なども加わった。大井川中流域における一大住民運動であったといえよう。

 この「水返せ」運動については、静岡地理教育研究会編『よみがえれ大井川 その変貌と住民』(古今書院、1989年)、高橋裕『河川にもっと自由をー流れゆく時代と水ー』(山海社、1998年)、島津暉之『水問題序論 増補版』(北斗出版、1999年)などが積極的に言及している。

 さらに静岡県議会だけではなく、国会(衆議院、参議院)でも何度も取り上げられた。「水返せ」運動が全国的にも注目されたという事実は、いかに重大な意義を持った運動であったかを示している。その意義については、田渕直樹の研究、「住民運動による河川維持用水獲得の政治過程ー大井川中流域の『水返せ』運動を事例にしてー」(1)、(2)(新潟大学『現代社会文化研究』12号、14号、1998、99年)、「涸れ川公害の現状と対策」(『現代社会文化研究』19号、2000年)、「河川環境回復を求めた住民運動の政治過程ー大井川の「水返せ」運動を事例にー」(『現代社会文化研究』23号、2002年)に詳細に記されている。

 なお、大井川全般に関わる問題については、森薫樹『ドキュメントダム開発 新大井川紀行』(三一書房、1983年)がある。

上記に関わる資料は、『中川根町史』近現代資料編下巻に掲載されている。1980年代半ばの「水返せ」運動の全貌を、この資料集で見ることができる。問い合わせは、榛原郡中川根町教育委員会、町史担当まで(電話 0547-56-1111)

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