誰が書いているのか

 知り合いの高校の国語教員、「小論文」指導のために「朝日新聞」の社説を利用しようとしたところ、よいものがないと歎いていた。私は、「中日新聞」の社説は主張があっていいですよ、と言ってあげた。
 昨日、「朝日」の社説は“主張”がない、署名記事にはときに良いモノがあるけれど、社説は「中日」のほうがしっかりと主張している、「小論文」指導には「中日」を利用することとした、と言われた。

 いったい「朝日」の社説は誰が書いているのか。とにかくあの文体がいけない。あれでは「(個人的な)つぶやき」だ。読者に対して、朝日新聞社の考えを主張する、というのではなく、自らの心の中でつぶやく、という書き方である。そしてその「つぶやき」も優柔不断なのである。
 自分の思うことを、自分に対して、自信なく自分に語りかける、というように思えるような「社説」は、もう終わりにしたらどうか。

 昔の「朝日」は、読んでいて「さすが!!」と叫びたくなるような、しっかりとした文体のなかに、うならせるような内容が書かれ、そうであるが故に、格調高い文が綴られていた。

 しかしいつの頃から、そういう社説には出会わなくなった。「社説」担当者を変えたらどうだろうか。もう名文家はいないのだろうか。

 なお、論説担当者に“ジャーナリズム”精神がないのであるから、“ジャーナリスト宣言”を自己満足的にテレビなど流すのはやめたらどうだろう。あれはうるさい。

「朝日新聞記者行動基準」を読んでいたら、下記のような箇所があった。このような基準を設定しなければならないほど、「朝日」は病んでいるのだろう。

取材先との付き合い

 1.取材先からは、現金や金券等を受け取らない。品物についても取材資料や通常の記念品等以外は受け取らない。職務の尊厳を傷つけ、記事の公正さに疑念を招くことになる。

 2.取材先から、中元・歳暮を含め贈答品を受け取らないことを原則とする。

 3.取材先との会食の費用は社会常識の範囲内とする。応分の負担をできなかった場合は、別の機会や方法を選んで相応の負担をするようにする。

http://www.asahi.com/information/release/20061201b.html

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