こうしたい、という願望あるいは理想はあるか?!

 毎年8月15日は、1945年8月に「終わった」戦争を振り返る。「終わった」に「」をつけたのは、日本では戦争は終わったが、日本が植民地支配をしたり、戦争中侵出していったところでは、1945年には戦争は終わっていないからだ。日本は「大東亜共栄圏」というスローガンを掲げて戦争を正当化した。しかし、「大東亜」とともに「共栄」していこうというスローガンは、いわゆる「戦後」の日本のあり方によってそれが虚構であったことが露呈している。それは、東アジア、いやアジア全体について、日本は正確な認識を持たす、自らの経済的繁栄(「大東亜独栄」)のみを追求し、「戦後」におけるアジアの苦難を顧慮することがなかったからだ。
 
 ひたすらアメリカに追従し、「属国」として、アメリカへの「貢ぐ君」として、生きてきた日本。そういう日本をどうするか。あるいはこれまでの日本の歩みをどう考えるか。そうしたとき、どんな理想を持って、何を基軸にして考えていくかがきわめて重要となる。
 このような視点から8月15日の各社の社説を見ると、新聞社の格付けができる。

 まず「朝日」。「65回目の終戦記念日―「昭和システム」との決別」という題である。久しぶりに長い文であるが、何を主張しようとしているのか定かではないし、「昭和システム」なるものと決別してその後をどう展望するか、がない。ここ10年くらい、「朝日」の主張は、内容がなく、ただことばを連ねているだけで、具体性がない。「現実」肯定が進みすぎて、理想を持てなくなっているのだ。

 
脚本家の倉本聰氏作・演出の舞台「歸國(きこく)」が、この夏、各地で上演されている。8月15日未明の東京駅ホームに、65年前に南洋で戦死した兵士たちの霊が、軍用列車から降り立つ。

 「戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか」「俺(おれ)たちは今のような空(むな)しい日本を作るためにあの戦いで死んだつもりはない」

■もうひとつの戦後

 劇中の「英霊」ならずとも、こんなはずでは、と感じている人は少なくないだろう。戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞(へいそく)感に苛(さいな)まれているように映る。

 日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。55年体制からの脱皮は数多くの混乱を生んだ。

 民主党政権は、政治主導という看板を掲げて舞台に立った。事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。

 この分厚い壁とは何か、いつ作り上げられたのか。

 米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は近著「昭和 戦争と平和の日本」で、官僚制は「戦争によって強化され、その後の7年近くにおよぶ占領によってさらに強化された」と指摘する。同様に、日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、戦時中にその根を持つ。

 「八月やあの日昭和を真つ二つ」(8月8日 朝日俳壇)。この句の通り、私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた。だが、そんなイメージとは裏腹に、日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。ダワー氏はこれを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。

 政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。

 外交・安全保障も同様だ。普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島とし、核の傘の下からヒロシマ、ナガサキの被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。

 割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。

■任せきりの帰結

 日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。映像は安保改定阻止の運動が何を問おうとしたのかを追う。

 銀幕で人々は語る。「民主主義は私たちが守らなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。戦争の記憶が生々しかった1960年当時、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするにはどうしたらいいか、問うた。たとえ失敗に終わろうと、歴史の主人公になろうとした一瞬があった。

 だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。映画を監督した日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド氏は言う。「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」

 冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。

 「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。

■生きてるあなた

 「敗戦忌昭和八十五年夏」(7月26日 朝日俳壇)。戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに、「戦後」を問い直すことではないだろうか。それは「昭和システムとの決別」かもしれない。

 家族や地域といった共同体の崩壊や少子高齢化によって、日本社会は昭和とはまったく相貌(そうぼう)を変えている。グローバル化が深化し、欧州連合の拡張で国民国家の枠組みすら自明のものではなくなる一方で、アジアでは、中国の台頭が勢力図を書き換えつつある。昭和の物差しはもう通用しない。

 「ANPO」の挿入曲「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)は、こう歌う。

 死んだかれらの残したものは

 生きてるわたし生きてるあなた

 他には誰も残っていない

 政権交代は、小さな一歩に過ぎない。政治主導とはつまるところ、主権者である国民の主導ということだ。

 過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に「生きてるわたし生きてるあなた」しかいない。

http://www.asahi.com/paper/editorial20100815.html?ref=any

 「中日新聞」は、明確だ。「終戦の日に考える 歴史は沖縄から変わる」は、沖縄がなぜ米軍の支配下にあり続けるかを、敗戦後の「天皇外交」にみる。日本国憲法では、天皇には「象徴」という国家機関であって、政治的権限はないはずだが、昭和天皇はここに見られるように、沖縄をアメリカに委ねることを求めた。すでにアメリカは沖縄の軍事占領を維持するつもりであったから、この昭和天皇の「外交」がどれほどの力を持ったのかはわからないが、天皇を始め日本の支配層は、沖縄の米軍支配をいとも簡単に承認してきたのだろう。しかし、沖縄からの「平和のこころ」を、沖縄県民と共に解決していこうという姿勢が、ここにはある。


 
鳩山由紀夫前首相を退陣させた普天間基地問題は、沖縄の戦後がなお終わっていないことを告げる事件でした。歴史は沖縄から変えねばなりません。

 「米国に依存しつづける安全保障、これから五十年、百年続けていいとは思わない」。前首相の辞任演説。同感なのですが、いったいこの米国依存の体質はどこからきたのでしょうか。

 その疑問に答えてくれたのが岩波現代文庫の「昭和天皇・マッカーサー会見」に収められた豊下楢彦関西学院大学法学部教授の論考で、意外なことに「昭和天皇」というのが回答でした。

◆昭和天皇の至上課題
 昭和天皇研究は平成になって飛躍的に発展したとされます。「昭和天皇独白録」や元宮内庁長官の「富田メモ」など重要資料の発見が相次いだからです。膨大な未解明資料を解読した豊下教授の研究は従来の昭和天皇像、戦後史観を根底から覆します。

 敗戦で昭和天皇が直面したのは言うまでもなく戦犯としての訴追と憲法改正による天皇制消滅の危機でした。マッカーサー元帥の協力で極東軍事裁判を切り抜け、新憲法で象徴となった天皇が直面した次なる危機が共産主義の脅威。昭和天皇にとり日本を守ることと天皇制を守ることは同義でした。

 非武装が日本の最大の安全保障とする理想主義のマッカーサーに対して昭和天皇はリアリストでした。憲法九条や機能不全の国際連合では日本を守れず、米軍依拠の天皇制防衛の結論に至ったといいます。

 かくして、「米軍駐留の安全保障体制の構築」が昭和天皇の至上課題となり、象徴天皇になって以降も、なりふり構わぬ「天皇外交」が展開されたというのが豊下説の核心部です。

 例えば一九四七年九月、宮内省御用掛寺崎英成を通じてマッカーサーの政治顧問シーボルトに伝えられた有名な天皇の沖縄メッセージは「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」「米国による沖縄占領は共産主義の影響を懸念する日本国民の賛同も得られる」などの内容。沖縄の戦後の運命が決定付けられてしまったかもしれません。

◆安保下の新たな国体
 五一年締結の安保条約については、吉田茂首相が米国務省顧問のダレスの再軍備要求を断固拒否、軽武装・経済第一の戦後路線を敷いたというのが通説ですが、ダレスの要求は米軍の基地自由使用権だった。その要請は天皇によって満たされたといいます。

 豊下教授は、もう一つの戦後史・安保体制という新たな「国体」を描き出しますが、独立国をめざす気概が存在した当時の外務省、もし天皇外交がなければ日本外交は選択肢の幅を広げ、より柔軟なダイナミズムを発揮し得たと想像します。安保の呪縛(じゅばく)は戦後の日本外交から矜持(きょうじ)も気概も奪いました。

 沖縄返還は七二年五月でした。ここでも基地負担軽減の県民の悲願は達成されませんでした。

 佐藤栄作首相の密約を交わしてまでもの核抜き・本土並みの返還要求でしたが、米側はしたたか。核をカードに狙いは基地の自由使用。懸念された通り基地の固定化になってしまいました。誠実、誠意が手玉に取られた格好でした。

 佐藤首相の密使として奔走した国際政治学者若泉敬氏は「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の著書を残して九六年七月、自殺しています。「鋭利な刃で五体を剔(えぐ)られるよう」な自責と結果責任からとされます。無念は引き継がれなければなりません。

 挫折したとはいえ鳩山前首相の普天間基地問題への取り組みと挑戦は未来につながったかもしれません。

 火が付いた沖縄県民の「県外・国外移設」の要求が消えるとは思えません。冷戦構造が残る東アジアで沖縄の戦略的価値が高いとはいえ、海兵隊の移転が抑止力や日米安保崩壊に至るとも思えないからです。この点について本土の理解も深まっています。

 ベルリンの壁崩壊と時を同じくした平成も二十二年。世界は多極化し、対決から共生の時代へ大きく流れを変えようとしています。ゆっくりでも歴史の進歩を信じたいものです。

◆沖縄のこころ世界に
 沖縄南部の激戦地、糸満市の摩文仁の丘の平和祈念公園内に九五年に建立された慰霊碑「平和の礎(いしじ)」には二十余万人の犠牲者の名前が刻まれます。

 沖縄県内と県外、日本人ばかりでなく米国、英国、台湾、韓国、北朝鮮の人々の名も。敵も味方もなく等しく犠牲者だという共生の思想。紺碧(こんぺき)に盛り上がる太平洋、沖縄の「平和のこころ」は世界に伝わっていくでしょう。深い哀(かな)しみを知る者たちこそ、深い共感を広げられるでしょうから。 
  

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2010081502000055.html

 「琉球新報」は、力強い。「終戦65年/政治の「歴史」乱用許さず 過去と現在の対話で未来を」で、過去の歴史についての正確な認識を求め、そこから現在を考えようと訴える。


 
アジア・太平洋戦争の終結から65年を迎えた。
 「ウムッサンヤー(おもしろいなあ)」。8月15日正午、ポツダム宣言受諾を告げる昭和天皇のラジオ放送を聞いた郷土史家の宮里栄輝さんは、そう言った。
 疎開先の熊本で、軍国主義による抑圧から解放された心情を吐露したのだろう。

 同日午前、沖縄では各収容所地区の住民代表が石川地区に集められた。戦後初の住民自治機関として、沖縄諮詢(しじゅん)会の設置が米軍から示された。新たな一歩が踏み出されようとしていた。

◆敗戦と解放
 日本軍に占領されていた中国や東南アジア、朝鮮などの人々は、日本の降伏を解放と受け止めた。この事実を忘れてはならない。

 日本はアジア侵略の先駆けとして1874年、琉球人殺害を名目に台湾に出兵した。94年の日清戦争、1904年の日露戦争で朝鮮半島や中国に勢力を拡大、14年に第1次世界大戦に参戦。10年おきに戦争を繰り返した。

 10年に韓国を併合し、31年9月18日の満州事変で中国軍と衝突した。この事件は、中国との長い泥沼のような戦争へと拡大していく。それから10年後の41年12月8日、日本軍はアジア・太平洋地域の米国、英国、オランダ領を攻撃。中国、米国、英国、オランダ、そして最終的にはフランス、ソ連を含むアジア・太平洋戦争へと拡大していった。

 この時代はアジア侵略のための、戦争に次ぐ戦争の時代だった。しかも軍事、経済、思想など国家のあらゆる力を動員した総力戦によって国民は多大な犠牲を強いられた。

 アジア・太平洋戦争でアジア諸国の死者数は2千万人に上る。満州事変以降の15年間の戦争で、軍人・軍属・一般住民を合わせて310万人の日本人が命を落とした。

 敗戦後、一般市民も多数犠牲になった「戦争の惨禍」への反省から、憲法9条が生まれ、戦争放棄と軍備・交戦権が否認された。

 だが、沖縄は米軍統治時代、平和憲法の適応外に置かれた。サンフランシスコ講和条約が発効した52年以降も、72年の施政権返還後も、「占領軍」だった米軍は沖縄に駐留している。65年もの間、米国が引き起こす戦争のために沖縄の基地が自由使用され続けている。

 戦争の世紀といわれた20世紀は終わった。しかし、2001年9月11日の米中枢同時多発テロ以来、米国はテロという新しい形の戦争に直面している。
 国家は戦争を正当化しようとする時、過去の記憶を動員し、「歴史」を乱用しようとする。警戒を怠ってはならない。

◆忘却との戦い
 例えば、同時多発テロ事件の直後、ブッシュ大統領は日本の真珠湾奇襲攻撃を連想させる発言をしながら国民に結束を訴えた。

 ブッシュ政権は、イラク戦争の開始前から、第2次世界大戦後の日本の占領を「成功例」として、イラク占領を正当化するかのような幻想を振りまいた。

 ロシアは、日本が第2次世界大戦の降伏文書に調印した9月2日を「対日戦勝記念日」とする法案を可決した。

 対日戦争の勝利を強調することで、北方4島のロシアによる実効支配を正当化し、北方領土返還を求める日本をけん制する狙いがあるとみられている。

 かつて村山富市首相は「わが国は国策を誤り、戦争への道を歩み、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略で多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と、談話を発表した。首相が率直に過ちを認めるまで50年かかった。

 日韓併合100年に際し菅直人首相は「痛みを与えた側は忘れやすく、与えられた側はそれを容易に忘れることはできない」と述べた。正鵠(せいこく)を射ている。

 重要な歴史的事実が忘れ去られ、国家によって都合のいいような記憶や「歴史」の断片が集められ再構成されるとしたら問題だ。これは「歴史」の乱用であり、捏造(ねつぞう)につながりかねない。

 敗戦から65年。戦争体験の継承が極めて重要になっている。戦争を知らない世代が増える中で、戦争体験の風化は避けられない。現在から過去を絶えず問い直し、過去と現在を結び付け未来を築く努力が求められている。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-166355-storytopic-11.html


 「沖縄タイムス」も「[終戦の日に]脱冷戦へ確かな歩みを」で、明確な主張を行っている。


 
総務省によると、日本の総人口の76・3%が戦後生まれである(2009年10月1日現在)。

 戦争が終わってから65年という歳月が過ぎ、人口のおよそ8割が戦争を知らない世代になった。今や、祖父母も両親も戦後生まれという家庭が一般的だ。

 今年は「韓国併合」から100年、朝鮮戦争勃発から60年、安保改定から50年という節目の年に当たる。それぞれの歴史的出来事がどのように関連しているのか。戦後65年の間に見えにくくなったもの、忘れ去られたものを、歴史の中から丹念に掘り起こしていく作業が必要だ。

 明治維新以降、日本は戦争の連続だった。植民地帝国として韓国・北朝鮮や台湾を統治し、中国の奥深くまで武力で攻め入った。

 日本は敗戦で植民地を失ったが、植民地責任を引き受け、これと正面から向き合ったとは言えない。戦後すぐに冷戦が顕在化したため、米国は日本を西側陣営につなぎ止めようとして「寛大な講和」を実現した。

 ある日、目が覚めたら、植民地がなくなっていた、というわけだ。植民地清算のための葛藤(かっとう)を味わっていないのである。

 日本は戦後、米国に安全保障を委ねることになった。アメリカ依存が「常態」であり「普通」の姿だと、何の違和感もなく受け止めるような感覚が育ち、アジア離れが加速した。

 中国と国交を回復したのは戦後27年もたった72年、北朝鮮とはまだ国交がない。

 対日講和条約と旧日米安保条約は51年に同時に結ばれた。米国が狙ったのは、朝鮮戦争を戦うための東アジアの新たな秩序づくりだった。

 朝鮮戦争には国連決議に基づいて、16カ国が部隊を派遣している。兵站(へいたん)基地を提供した日本は「朝鮮戦争の17番目の参戦国」だと言われた。

 日本や沖縄の基地なしには朝鮮戦争もベトナム戦争も遂行できなかった。政府は冷戦を固定化する方向で米軍を支援してきたといえる。

 脱植民地、脱冷戦に向けた主体的な取り組みが弱く、米国への依存体質を強めたことは、安全保障に対する日本人の意識をいびつなものにしたのではないか。

 普天間問題は、いびつさの象徴ともいえる事例だ。

 沖縄の命運は琉球王国の時代から今に至るまで、東アジアの動向に左右されてきた。

東アジアに冷戦を再現させてはならない。

 中国の透明性を欠いた軍備強化が、この地域の不安定要因になっているのは、否定できない。だが、脅威をあおり、抑止力の強化を説くだけでは何も解決しない。

 脅威に備える軍事的対応は、結果として自分への脅威を増大させることになりかねない。いわゆる「安全保障のジレンマ」と呼ばれる現象だ。

 政府は冷戦思考から脱却し、信頼醸成と透明性確保に向けたアプローチを重ねるべきだ。中国や北朝鮮に対して過剰に感情的に反応し、この地域の緊張を高めるのは得策でない。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-08-15_9270/

 今年の「8月15日」の主張は、沖縄問題を視野に入れるのは当たり前。さらっと書き流す社説は、時代と格闘する気概がないということだ。



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