『UP』10月号は面白い

 東京大学出版会が出しているPR誌『UP』の今月号は面白い。  まず第一。「伴大納言絵巻のなかの“暗号”」がある。後白河法皇が描かせたといわれるその絵巻、866年の「応天門の変」の顛末が描かれている。このほどその絵巻を赤外線による撮影、蛍光X線による分析、高精細デジタル撮影した結果の一部が、黒田泰三氏によって記されている。この撮影については、「新日曜美術館」(NHK教育)で放映されていた。  黒田氏らの分析の結果によると、「応天門の変」の放火犯は伴善男とされているが、この絵巻ではその放火犯は藤原良房であることを示唆しているとのことである。  第二。石井寛治氏の「近代日本経済史再考」は、学問研究というのはこうして発展していくのだなあということがよくわかる。日本近代経済史の重鎮、大石嘉一郎氏の『日本資本主義の歩み』などを題材にして論じているのだが、石井氏の最近の研究をふまえて貴重な提言がなされている。大石氏は、日本の産業革命は日清・日露戦争によって支えられていた、としているが、しかし戦争による利益が産業革命に投入されたことは跡づけられていないとして、「日清・日露の大戦争は、経済発展に関してはむしろ阻害要因だったとみるべきではないか。軍事支出は、一部の軍需産業を潤すとはいえ、国民経済的には、生産力の増強には繋がらない再生産外消耗なのである」とする。  また、大石氏の方法論は「構造論と段階論の統一的把握」であるが、「その鍵は矛盾をはらんだ構造の把握の結果、獲得される「構造的必然性」の理…

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戦後歴史学を担う人々

 今日、実家に届いていた『歴史学研究』の月報を手にした。佐藤和彦氏(中世史)のご逝去について、三人の方が追悼記を記しておられた。その追悼記には佐藤氏の研究者としての、人間としての魅力が短い文章ではあるけれども、記されていた。佐藤氏については面識はないけれども、『南北朝の内乱』(小学館)などを読んだことがある。  最近戦後の歴史学を担ってきた方々が次々と亡くなられる。その中にはお世話になった方もいる。  永原慶二先生とは、自治体史でご一緒したことがある。永原先生の娘さんとは、同じ大学であった(彼女は理工学部)。サークル活動をしていた私は、彼女を通して永原先生に「日本史研究入門」という文章を書いていただいたことがある。永原先生は中世史専攻といいながら、どの時代についても的確な認識をもっておられたことを思い出す。  戦後歴史学は、変革と未来を創造しようという学問であった。  明治維新史の原口清先生は、ご高齢であるにもかかわらず、志を持ちつつ未だ第一線で、実証的かつ理論的な研究をされている。今度著作集を出版されるという。  原口先生は、史学研究法みたいなものを書きたいとよく話されている。実証的な研究に目途がついたらということだが、後進のためにぜひ書き上げていただきたいと思う。  そのためには長生きしていただかなければならない。  戦後歴史学を担ってきた諸先生、ぜひ長生きしてください、と言わずにはいられない。私が謦咳に接した方々は、まだまだお元気だ。ぜひご自愛いただきたいと思う。 …

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【本】藤木久志『刀狩り』(岩波新書)

 これはたいへん面白い本である。「刀狩り」に関する固定観念を吹っ飛ばす。  秀吉の刀狩りによって、日本人は武装解除されたという「通説」が見事にひっくり返されている。  刀狩り以降も、人々は武器を持っていた。ただし、その武器はもっていただけで「武器」として使わなかった。「刀狩り」は、武器を「武器」として使用させないための法であったようだ。だから、武器は民衆の間にあった。  しかし戦国の動乱の中で、イヤと言うほどいくさで辛酸をなめてきた人々は、天下統一後の平和を維持すべく、支配者である武士も含めて、武器を「武器」として使用することを封印したのである。  また民衆は武器を持っていた。しかし一揆の時にはそれらを使用しないようにした。武士階級も、民衆が使用しない場合は、武器を使用しなかった。    民衆から武器を取り上げたのは、第二次大戦後の占領軍であった、という。  本書は、副題に「武器を封印した民衆」とある。戦争を経験した民衆にとって、日本国憲法は、戦争を封印するものとして存在したはずである。    是非読んでいただきたい本である。日本の「伝統」とは何であるかを知っていただきたい。近代以降に創出された「伝統」に惑わされてはならない。

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【本】『浜松まつりー学際的分析と比較の視点から』(岩田書院)

 友人から『浜松まつり』という本が送られてきた。恵贈に感謝する次第であるが、しかし私は5月の連休に行われる浜松まつりには、一貫して冷ややかである。浜松まつりの売り物のひとつは凧揚げであり、もう一つは夜の御殿屋台の引き回しである。前者は最近砂浜の浸食が激しい中田島海岸で行われる。この本に関わった者ではないが、ある「学者」は、中田島という場所は風水上きわめて良い場所であること、だから古来のヒトは良い場所を選んだなどと書いていたが、中田島で行われるようになったのは、1960年代後半であることを知っていた私は、この方の「学識」を疑ったものである。それはさておき・・・・・・  遠来の方々には、やむなく「浜松祭り会館」などに案内するときがあるが、個人的には一切関わりたくない。その理由は以下の通りである。  私は浜松生まれであるが、市の中心部から離れたところに生まれた。浜松市に戦後合併された中野町というところである。天竜川の西岸、東海道が通るところである。合併する前は「中ノ町」と表記し、その地名の歴史は古く、鶴屋南北の作品の舞台にもなっている。  私が物心ついたときから、中野町の祭りは8月14,15日であり、14日夜には天竜川の河原で花火があがる。最近はあちこちで花火大会が開かれ、規模としては「中ノ町の花火」は小さくなっている。しかし、一応昔から行われているため、名は通っている。私は、その祭りを誇りに思っている。  また中野町の周辺は、ほとんど秋祭りである。  ところで、私には5月の連…

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【本】 『UP』4月号と『歴史学研究』4月号

 『UP』は東大出版会の宣伝誌。毎年4月号は、“東大教師がすすめる本”の特集である。異なった分野の研究者が薦める本の知識を得るために一応読んではいるが、あまり買わない。しかし、そのコーナーではなく、新藤宗幸「憲法の「再生」とは」を読んでいて、山上民也『再建の理念』という本を知った。山上氏は現在92歳、大分信用金庫の会長であるが、『再建の理念』は1945年、30歳の時に書いたものであるという。  その本が今日届いた。読んではいないが、「敗戦の瓦礫を前にしてひとびとは何を考えていたのだろうか」ということを考えているときに、新藤氏はこの本に出会ったという。  なぜ日本は敗戦ならびに混乱を招いたのか・・・この問題を真摯に考えたものが『再建の理念』だという。  もう一冊。『歴史学研究』4月号の特集は、「方法としての「オーラル・ヒストリー」再考(Ⅱ)」である。姜徳相氏の「インタビューとアーカイブの問題」は、朝鮮史、ならびに「在日」の歴史を研究している氏ならではの主張に共感を覚えた。小生も、「在日」の地域史について研究したことがある。実際に良い資料がなく、新聞資料などに依存することが多かった。資料探しに苦労し、その時に「在日」一世から話を聴くことができ、助かったことを覚えている。なお敗戦直後の当局の朝鮮人対策の資料を持っているが(一部は『静岡県史』に利用した)、まだ十分に書き尽くしていないので、いつかは書くつもりである。  目的は姜氏の論文を紹介するのではない(今月号の『歴史学研究』は読む価値あり)…

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【本】森博達『日本書紀の謎を解く』(中公新書)

 推理小説を読むより面白い。末尾の「真実はいつも簡単だ」という言葉も含蓄がある。  日本書紀を漢字の音韻、語法で分析し、全巻30巻をα群、β群、そして30巻の三つに分け、α群の筆者を唐から渡来した学者、続守言(巻14~巻21)、薩弘恪(巻24~巻27)とし、巻30を除いたあとの巻(β群)を山田史御方(彼は中国への渡航経験はなく、朝鮮新羅に留学、仏法典に関する知識はあった)が著述したとする、そして巻30は紀朝臣清人が書き、三宅臣藤麻呂が潤色・加筆したと結論づける。  結論としては簡単であるが、その結論に至る分析が見事なのである。分析の手段は、中国古典(漢字)に関する膨大な知の体系である。結論へと至る論証が、闇に包まれていた日本書紀の筆者を白日の下にさらしていく、その筋道がすばらしい。もちろん、私は門外漢であり、森氏の博識にはとてもついていけないのであるが、しかしその論証の手法は、門外漢の私にも説得的なのである。  本書を読むようにすすめていただいた町田の住人に、心から感謝を申し上げる次第である。  私のフィールドは基本的に近現代日本史であるが、最近原始古代からの日本史研究の状況を知る必要に迫られ、ひたすらその関係の本を読み耽っている。  

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明日香村、大和路への小旅行

 21日、22日と、小旅行をした。行き先は、奈良県の明日香村と、奈良市である。    昨年の総選挙以後、『朝日新聞』から『中日新聞』にかえたのだが、残念ながら静岡県東海本社で発行している『中日』は、ローカルの記事が多くて、全国的な記事が載らない。東京・町田に住まいしている方から、最近考古学上の発見が相次いでいる、自身も九州からの帰途、明日香村の発掘現場を見てきたという報告を受け、行ってみることにした。但し、歴史とは無縁の生活を送っている家人と一緒のため、機動力に欠けるところがあった。  最近発掘されたものに関する知識はないので(『中日』よ、もっと報道してよ)、一般的なコースをまわった。  初日は早朝に出発し、10時頃に明日香村に到着。飛鳥駅で自転車を借りて、さっそうとまわる。家人は松本清張の『火の路』の知識を持っていたので、石巡りをしたいという。猿石、鬼の俎、雪隠、亀石、橘寺の二面石、酒船石をまわり、その他飛鳥資料館、岡寺などにも足をのばした。町田に住まいする方は、橿原神宮前で自転車を借りて・・・・と説明されていたが、何でも交通量が多いところを通らざるをえないということであったので、飛鳥駅から出発した。  私にとっては三度目の明日香であった。古代史について、実際に現物を見るということは大切なことである。飛鳥資料館では、高松塚古墳、キトラ古墳の壁画の写真をみたが、朝鮮などの大陸の「力」というものを痛感する。有史以来の歴史を見ると、中国や朝鮮は日本よりずっと先進的であったのであり、日…

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【本】丸山茂徳・磯崎行雄『生命と地球の歴史』(岩波新書)

 1998年に出版されたこの本、2004年1月で13刷り。それから2年が経過しているから、もっと売れているだろう。  この本は、普通の地学の本ではない。生命の歴史と地球そのものの歴史との相関関係を歴史的に記したものである。  私たちが基本的に知覚しているのは地球の表層環境であるが、そしてそれにもっとも影響を受けるのであるが、しかしマントル(の活動)とか核などと全く無関係ではない。地球上では、今まで数回の生物が絶滅しそうになった時期を過ごしてきたが、それは地球内部の変化に起因するという(恐竜の絶滅のみは、巨大隕石の衝突による)。  本書に記されているのは、時間的にも空間的にも、きわめてスケールの大きい話で、二億五千万年後には、南極大陸を除いてすべての大陸はアジア大陸とつながってしまう、という。オーストラリア大陸は日本に衝突し、日本列島はヒマラヤ山脈並の高山地帯になるであろう。  読んでいて面白く、知的触発に満ちた本である。科学的に見る眼を養うためにも、読んで欲しいと思う。

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【本】帚木蓬生『国銅』(上・下) 新潮文庫

 山口県美東(みとう)町に長登銅山跡がある。その銅山で課役に服していた国人(くにと)の物語が、この「国銅」である。  長登銅山の説明は、以下のようである。  「昔、奈良の大仏に銅を貢納したので、奈良登りがなまって長登になった」という言い伝えがあります。  昭和47年の調査で、奈良時代の須恵器が出土し、日本最古の銅山であることが判りました。 また、昭和63年3月には奈良東大寺境内の発掘調査が行われ、出土した青銅塊の分析により、奈良の大仏の料銅 は長登銅山であることが実証されました。 (美東町商工会のHPより)  東大寺大仏の銅を掘り、それを棹銅として都へ運ぶ。主人公の国人は、まずこの鉱山で課役に服し、そしてその後都へ送られ、大仏造営の任につく。  記されているすべての労働が重労働であり、すべての生活が貧しく、厳しい。まさに庶民が、この小説の主人公である。  労働のなかで命を落とす者もいる。あまりの苦役に逃げ出す者もいる。しかし、国人は逃げない。国人は誠心誠意仕事に打ち込み、周囲の労働者や自らと関わりをもった者に対しても、誠心誠意尽くす。  そのような国人を支えた精神は、国人の生得的な感覚(性格)を基礎にしながらも、銅山の近くにある榧葉山(かやばやま)の岩壁に仏を彫り続ける景信という僧から教えられる文字、仏教(「知」)によってかたちづくられたものであろう。  国人は、都へ送られる15人の「仕丁」の一員として都にいくが、課役を終え故郷にたどり着くことができた者は国…

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加害の記憶を振り返るとき

 手杵祭り(矢代祭り)を知っていますか? http://www.city.obama.fukui.jp/maturi/tekine.htm   4月3日、福井県小浜市の矢代地区加茂神社で行われる例祭である。それは、  奈良時代に、矢代の村に漂着した唐の女王の一行を、財宝に目がくらんだ住民が襲い惨殺したという歴史、悲話を悔み、たたりをおそれた子孫が平安時代からこの祭りを始めました。 祖先が行った蛮行を再現することで、その悪行の戒めとするとともに女王らを供養するといい伝えられます。  劇の配役は、主催の大禰宜を始め、区の住民(戸主・長男・娘)が必ず勤めなければならないきまりになっています。  劇の内容は、顔に墨を塗り、頭にシダの葉をかぶって黒の素襖(すおう)を着た村人役の男性3人が、杵や杵に荒縄をかけた弓を持ち、唐船にみたてた木製の丸太船をかかげた裃姿の青年6人(舟かき役)、女王・侍女役の少女3人が太鼓の音とともに唄いながら礼殿をまわり、村人達が女王一行を襲い惨殺するシーンが演技されます。  というものだ。「唐」とあるが、それは朝鮮からの女王かもしれない。  これを知ったのは、朴慶南『私以上でもなく、私以下でもない私』(岩波書店)を読んだからだ。1200年前の、自分たちの加害の事実をずっと伝えてきたという。当然それは、加害(虐殺)に対する、本当に厳しい自己批判、そしてそれを戒めとして忘れることなく地域の歴史に刻み続けるのだという強烈な庶民の意志に、私は感動する。 …

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やっと 書き終えた

 やっと自治体史の執筆が終わったので、これからはいろいろなことを書き続けることができるだろう。  今日書き終えたのは、経済更生運動についてである。私が担当している町は、戦後二つの町が合併した。一つは昭和恐慌の後、1941年から満州移民事業に取り組む(42年送出)。もう一つは、恐慌期から経済更生運動を続け、1940年度に特別助成を受け、敗戦まで経済更生運動を何とか続ける。その進路の違いをどう説明するかに苦心した。経済的条件、村政担当者の主体的選択、当時の政治経済の客観的状況など、それらを総合的に書き込んだつもりである。  地域の歴史を書くと言うことは、一つの彫刻をつくっていくことだ。彫刻は刻んでいくのかもしれないが、歴史を書くと言うことは、いろいろな史資料を読み、比較し、検証し、時代状況とを照合しながら、ことばを一つ一つ選び、それらのことばをつないで一定の歴史像を創りあげていくのである。フィクションと違い、根拠を示しながら書き進めていかなければならないから苦労が多い。  でもやっと解放される。いろいろな本が読める!!     明日は、記憶について、書こうと思う。  

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【本】徳永恂・小岸昭『インド・ユダヤ人の光と闇』(新曜社)

 副題に「ザビエルと異端審問・離散とカースト」とある。  内容は、1492年という年がスタートである。この年、スペインにいたユダヤ人が追放された。彼らの一部はインドに逃れ、そこに住んだ。彼らはマラーノと呼ばれた。「豚」という意味だそうだ。しかし、カトリックのポルトガルがインドに進出し、彼らは異端審問のなか、殺害された者もいた。イエズス会のザビエルが異端審問をする側の一人であったという。  流浪するユダヤ人、そういう人々をディアスポラというのだが、その足跡を徳永や小岸が追う。マラーノがインドに到達する前に、すでにユダヤ人はインドにいた。インド社会ではユダヤ人差別というものはなかった。   このように、ユダヤ人の足跡を追う本だが、研究書ではない。だから読みやすいので読んでしまったのだが、私の関心の対象ではない。  それでも「アシュケナージ」、「セファルディ」というユダヤ人の流れも知った。  私は宗教とは関係なく生きているから、宗教をもとに争いあうということを理解できない。しかし宗教は、「こちら」、「あちら」と分節する大きな機能を持ち続けている。キリスト教徒は「あちら」と認定した人々を、数限りなく殺し続けた歴史を持っている。「あちら」とはユダヤ人であり、イスラム教徒である。逆に、ユダヤ人から「あちら」とされたムスリムが殺され続けている。  亡くなったサイードや、音楽家のダニエル・バレンボイムが行っている一種の融和的な小さな動きが、いつかは大きな力になるだろうが、私の生きている…

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【本】小林英夫『満州と自民党』(新潮新書)

 日本に高度経済成長をもたらした「日本的経営システム」が「統制経済」の流れの行き着く先であったとして、統制経済の実験場であった満州経営に参画した面々と戦後政治の担い手との連続性を記したものである。代表的な人物として、岸信介がとりあげられている。ただし、他の人物についても取り上げているので、岸についての叙述は多くはない。すでに岸については原彬久『岸信介』(岩波新書)があるからであろうか。  なぜ岸が戦犯にならなかったのか、私は疑問を持っているが、冷戦下の日本政治で岸が大きな役割を果たしたことは事実である。小林はそのルーツを満州時代に求めるのだが、岸だけでなく満州に関わった人脈が、岸の周辺に存在していたことを明らかにする。  但し、新書なので、あまり詳細かつ緻密に展開しているわけではない。だからどうしても読んだ方がよい、というものではない。  気楽にすぐに読める本である。

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歴史・・・・・

 私の家は、昔の東海道から少し入ったところにある。東海道の松並木がまだ少し残っている。私はそこを通るとき、そっと松に触れる。太く、がっしりとした佇まいである。この松が、ずっとこの地で東海道を通過する人々を見つめながら佇んでいたことを想うと、なぜか感動を覚えるのである。  おそらくこの松は、植えられてからずっと、少しずつ成長しながら東海道を見つめていた。その成長そのものが、歴史なのである。  「時」はあっという間に過ぎ去るという。だがしかし、「時」は過ぎ去るのではない。蓄積されるのである。東海道に佇む松並木が少しずつ時を重ねて成長してきたように、私たちの人生も「時」を取り込みながら成長してきたはずだ。  おのれに蓄積された「時」、あるいは体躯に刻まれた「時」が歴史であり、そしてさらにおのれを生み出した人間の歴史が蓄積してきた「時」が歴史なのである。  その歴史を軽蔑してはならない。    

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沖縄のこと(2) 読谷村史Web版

読谷村は、沖縄戦で米軍が上陸し、多くの犠牲者が出されている。その読谷村が編纂した「読谷村史」上・下巻が、何とweb上で読めるのである。 市町村史は通常分厚い本となって、だいたい5000円くらいで売っているというのが普通である。ところが、読谷村はほとんどすべてWebで読めるようにしている。これは画期的なことだ。  私も自治体史に関係しているが、これはすごい英断であると思う。  下記は、読谷村の「公開にあたって」という文である。それを掲げる。  2002年3月に『読谷村史』第五巻資料編4「戦時記録」上巻(読谷村史編集委員会編、読谷村役場発行、定価4000円)を出版しました。本論834ページ、別冊175ページ(「読谷山村の各字戦時概況図及び屋号等一覧表」)からなっています。同時に金城印刷(有)の協力を得て、CD-ROM版(本論、別冊含む)にも収録し検索の便宜が飛躍的に向上しました。ただしCD-ROM版は研究機関のみへの限定配布とさせていただきました。そこで『読谷村史』第五巻資料編4「戦時記録」上巻をWeb上でも公開し、沖縄戦の実相を広く知っていただくとともに、今後の沖縄戦の実相解明に少しでも寄与できればという思いから、ここにインターネット版として公開することにいたしました。本趣旨をご理解いただき、ご協力をお願いします。 HPのアドレスは、下記の通りである。 http://www.yomitan.jp/sonsi/index.htm  なお私は、上下巻を購入している。Web上で長…

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沖縄のこと(1) 読谷村平和資料館

 沖縄に読谷村という小さな村がある。戦争末期、上陸してきた米軍に占領され、村民に多くの戦争死者がだされたところだ。現在村の面積の45パーセントが米軍基地に占拠されているというところである。その読谷村について、まず一つ紹介したい。  それは、読谷バーチャル平和資料館である。     http://heiwa.vill.yomitan.okinawa.jp/index.html   そこにアクセスして、「平和って何」をクリックする。すると、以下の言葉がでてくる。  たいへん格調高い文面である。この文をたどっていくと、沖縄を含めた読谷村の歴史が現れてくる。 今日も、 世界のどこかで 尊い命が奪われている 21世紀が、平和で豊かな時代となるためには、 人類の生存を脅かす諸問題に対して、 何が正しく、何が間違いかを考え行動することが 大切ではないでしょうか。 他人の喜びや悲しみに共感し、 真の信頼関係を築き、 明るい未来をつくるために、 一人ひとりが行動を起こすことが 求められています。 人間の知恵と愚かさ 人類の栄光と失敗 歴史は壮大なデータベース 歴史を学ぶこと それは、人生を生きぬく知恵と勇気、 自信と誇りを身につけることなのです。 読谷村は、平和をずっと発信し続けている村である。このバーチャル平和資料館から、学ぶことがあるはずである。是非見ていただきたい。 ここに記されているように、歴史を学ぶことはとても大切である。たとえそこにいくら陰惨…

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【本】木村元彦『終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ』(集英社新書)

 旧ユーゴの内戦はすでに過去のものになったような状況がある。日本ではほとんど報道されない。日本のマスメディアはきわめて移り気であるからだ。テレビが視聴率を追いかけて、次から次へと些細な報道しなくてもよいようなことを追いかけていくと、新聞などもそれを追いかけて新しいものを求めて流れていく。したがって過去の重大事件は過去のものとして、とりあげなくなる。本来のジャーナリズムなら、過去の大事件の「今」を報道するなど、検証していくのも大切であろうに・・・・・・・。   さてアメリカを中心としたNATO軍の空爆など、コソボをめぐっての「戦争」は、今どうなっているのだろうか。  すでに『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』(講談社)で判明しているように、セルビアとムスリム、クロアチアの三すくみの内戦で、もっとも「悪」であるのが、セルビア人であったことが、広告代理店の巧妙な宣伝によってつくられた虚像であったこと、その結果国際社会で旧ユーゴにかかわる問題の「悪」はセルビア側であるという共通認識がつくられてしまっている。したがってコソボ紛争でも、悪いのはセルビアであるとされてしまっている。だが実際は、「民族浄化」はすべての政治勢力が行っていたことであり、NATO軍が参戦したことにより、より複雑になってしまっているのだ。  だが、アルカイダとつながっていたKLA(コソボ解放軍)が何とアメリカにより公認され(それまでは「テロリスト集団」としていた!!!)、アメリカなどから武器が供与され、アメリ…

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強制連行を追って

 自治体史で朝鮮人・中国人の強制連行を担当したことがある。他の自治体史を見ても、記述がなかったり、あっても政策的な展開かあるいは連行された場所などが書かれているだけであった。  私は、実際に連行された人の声を載せようと思った。ある年の年末、私は釜山に飛んだ。二泊三日のツアーに申し込んだのだ。半日だけ、観光につれていってもらい、後は自由というツアーである。ツアーといっても、参加者は私一人。釜山のチュガルチ市場、国連墓地、龍頭山公園などを回って、ある店でサムゲタンの昼食をとった。私はガイドに、今から言うことをハングルで書いて欲しい、と頼んだ。「私は日本国で朝鮮人強制連行の研究をしている者です。静岡県に連行された人を探しています。協力してください」と。  ガイドと別れてから、私は釜山市庁に入っていき、そのノートを見せた。受付からあちこち回された後、「今回すぐに協力はできないけど、あなたが次回韓国に来るときに協力させていただきます」という返事であった。私は、その言葉を信じて、残りの日々を梵魚寺 <ポモサ>などを観光して帰国した。  帰国して二日ほど経った頃、韓国から電話が入った。林洪鎮さんからであった。釜山市庁から言われたということで、いつ来るかという問い合わせであった。  私は、2月末に行くという約束をした。  2月末、釜山空港に到着した私を、林さんは待っていてくれた。そして翌日、つまり3月1日は独立運動の記念日で、老人たちが公会堂に集まるから、そこに連れて行ってくれるというのであ…

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大井川最初の発電所は、小山発電所ではない!!

 昨日、川根町で“大井川 水 シンポジウム”が開かれた。「取り戻そう! 大井川の清流!」がテーマであった。しかしその資料に間違いがある。大井川最初の水力発電ダムを、まだ小山発電所としているのだ。そうではなく、東海紙料(現・東海パルプ)の地名発電所である。小山発電所は1912年、地名発電所は1910年である。  私は、講演会や『本川根町史』などで、その根拠を示してそのことを主張しているが、修正されない。そこでそれについて、ここにその典拠を公表しておきたい。  今まで、大井川で最初に建設された水力発電所は、小山発電所とされてきた。  例えば、中部電力が編纂した『大井川ーその歴史と開発』(1961年)には、「大井川で最初に建設された水力発電所は、小規模ながら牛ノ頚で、これは小山発電所と呼ばれた。竣工を見たのは明治43年 (1910年)で、出力はわずかに1400キロワットにすぎなかった。」とある。また武市光章『大井川物語』(1967年)には「明治43年(1910年)出力わずか千四百㌔㍗の発電所が建設された。これが大井川水系における最初の発電所であった。」というように、「大井川水系の最初の発電所」 として小山発電所が位置づけられ、その竣工は1910年とされてきた。これが「通説」とされてきた (中部電力株式会社総務部社史編纂グループ『時の遺産』も1910年運転開始、となっている)。   また中部産業遺産研究会・産業考古学会のシンポジウムをまとめた『地名の産業遺産と地域文化』(1998年…

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軍隊と住民

 NHKスペシャル「沖縄 よみがえる戦場」で、日本兵による住民虐殺の事件がとりあげられていた。そのなかで生き残った二人が戦後60年を経て会うことができた、ということに感動を覚えたが、父を日本兵に殺され、自らも手榴弾の破片を全身に受け「戦後」を生きてきた彼女の今までの生活を想像すると、同情と共に怒りを禁じ得ない。  沖縄における住民虐殺は、真栄平(めーでーら)の虐殺など多くの事例がある。私は、このような事件を見るまでもなく、軍隊は住民を守るものでないことは明白であると思っている。軍隊は国家権力ないしは国家機構を守るものであって、国土や住民は守らない。戦前の日本軍が、もし、住民や国土を守るためのものであったなら、まず第一にあんな無謀な戦争を起こしはしないだろう。第二に、日本本土に一発の爆弾が落とされたり、住民が空襲などで一人でも死傷したら、これはもう即やめるしかないだろう。その時点で既に国土や住民を守れなくなっているからだ。しかし、戦前の大日本帝国は、「国体護持」に執着しながら終戦を遅らせ、多くの人々を死地に追いやった。1945年8月、日本の主要都市は灰燼に帰していた。  また満州での悲劇など、その象徴的な事例である。静岡県から移民に参加した福田町開拓団(竜江省鎮東県に入植)の団長は、ソ連軍が侵攻してきたときの状況を、戦後こう書き記している。  「頼りにしておった白城子、鎮東の両部隊全員は、一戦も交えずして、八月十二日の列車を最後に全部南部へ、朝鮮国境方面へ後退してしまったのである。而も、老…

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山村の生活日誌(大井川中流域・徳島若太郎日誌のこと)

 大井川中流域の山間部、榛原郡中川根町の徳島家に、1894年ー明治27年4月から1914年ー大正3年12月31日までほぼ毎日書きつがれた日誌が残されている。徳島若太郎の日誌である。  1865年に生まれた徳島若太郎は、村吏員を経て村長に就任したり、茶業組合の幹部になるなど、地域で大いに活躍した人物である。彼の日誌には、村政だけでなく、農事、茶業振興、区有林、家庭生活ならびに近隣との付き合い、民俗的な諸行事などが記されている。記事のほとんどは藤川地区ないしは中川根村などこの周辺についてのものである。  この日誌は、当然であるが、この地域の生活空間・時間を浮かび上がらせる。しかし時に全国的な事件(記事)が現れる。全国的な事件のなかには、この地域を素通りしていくものもあるが、しっかりと地域をつかみとるものもある。その最たるものが戦争であり、この地域が海外の戦場と結びつくのである。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦が、日誌の時期におきた戦争である。この日誌にも、つかみとられた地域の状況が表れる。  日誌は地域に即した歴史を刻んでいくが、そこから全国的な歴史がどう見えるか、あるいは全国的な歴史がどう地域の歴史に関わり変化をもたらすのか、この日誌はそのような問題意識をつくりだす。   徳島若太郎について (一)村長として  徳嶋若太郎は、1901年(明治34)4月1日村長に就任した。若太郎は、突然村役場に入ったわけではない。1889年(明治22)からは村用係、1897年(明治30)5月からは…

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「戦争に関する責任」をもう一度考えるの?

以下の条文は、日本国との平和条約(1952年条約第5号)の前文と、極東国際軍事裁判所(東京裁判)に関する条文である。  日本は、この条約を承認して国際社会に復帰した。これにより法的に戦争状態は終了したのである。但し、中国とかソ連とか、この段階では除外された。  いわゆる極東軍事裁判所の判決を「勝者の裁き」だとして受け付けようとしない人々がいる。だが、この条約は国際社会との約束である。したがって一面不満があっても受け入れるしかないことではないか。  かりにもしこれに疑義を抱くなら、もう一度「戦争責任」について考え直すというのであろうか。  そうであるなら、やってみればよいと思う。  戦争直後の混乱、食糧難などのなかで、日本人は「戦争に関する責任」について、きちんと総括してこなかった。日本が侵略していった地域の人々に対する戦争(加害)責任だけではなく、「敗戦責任」(日本の庶民は戦争被害者の面も持つ。だとするなら、その加害者は誰かを問うべきである。被害者がいるということは、加害者が必ず存在するのだから)、さらには原爆を投下し無差別に殺戮したアメリカの戦争責任など、これらを日本人はしっかりと検討すべきである。  戦後60年、戦争というものが、いかなるものであったのかを再認識することは大切なことである。 ********************************************************************************  連合国及び日本国は、両者の…

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神戸大学付属図書館デジタルアーカイブ

 インターネットで新聞資料を利用する際、便利なのが神戸大学付属図書館のデジタルアーカイブである。神戸大学では多くの新聞の切り抜きを所蔵している。神戸大学の前身である神戸高等商業学校が集めたもので、その「概要」には、こう記されている。 “「新聞記事文庫」は、神戸大学経済経営研究所によって作成された明治末から昭和45年までの新聞切抜資料で、「新聞切抜文庫」とも呼ばれています。六十年以上にわたって営々と積み上げられた切抜帳は約3200冊、記事数にすれば約50万件という膨大な量になっています。 ”  新聞記事は、「工業及び鉱業」に関するものが多い。私は、遠州地方の産業について利用している。それぞれの新聞資料について、画像とテキストの両方を利用できる。画像が見にくくても、テキストを読めばよい。もちろん検索もできるし、その検索機能も充実している。  今から10年以上前、神戸大学を訪問してこの資料を閲覧したことがある。その時、日本軽金属の新聞資料などをコピーしたことがある。  しかしこれからは神戸大学に行かなくても利用できるとはうれしい限りである。ただし資料は厖大なため、全部の資料を利用できるわけではない。図書館では徐々に増やしているという。  とりあえず、下記のHPにアクセスしていただければ、その価値を認識できるはずである。      http://www.lib.kobe-u.ac.jp/dlib/index.html

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1930年台湾・霧社事件

 今回も、戦争について過去に書いたものを紹介する。 *********************************************************** 霧社事件  今年は霧社事件から75年という年にあたる。台湾で起きたこの事件と静岡県とは地理的にあまりに離れてることから、その関係について記されることはなかった。  ここではその霧社事件と静岡県との関わりを記そうと思う。  霧社事件は、1930年10月27日朝、台湾先住民タイヤル族(セイダッカ)が蜂起、運動会のために霧社公学校に集まっていた日本人134人を殺害した。蜂起のリーダーはモーナルダオ、蜂起に参加した先住民約1300人、念入りに計画された襲撃であった。彼らは各地にあった駐在所などを襲い、そこから銃器を奪って密林にこもり、動員された日本軍、警察官などと激しい戦闘を交えた。 山岳戦のなかで日本軍は毒ガス弾を使用(尾崎祈美子『悪夢の遺産』学陽書房)し、蜂起に参加しなかった先住民を戦闘に利用して先住民同士を戦わせた。蜂起は12月上旬には鎮圧された。  男たちは戦死し、多くの住民は山の中で首をつった。生き残った約500人は収容所に入れられたが、翌年4月、蜂起に参加しなかった先住民の襲撃を受け200人以上が殺された(第二霧社事件)。生き残った人々は、住居から遠く隔たった「川中島」に強制的に移住させられ、現在もそこに居住している。  事件の原因は、居丈高な日本人警察官による差別的言動、労働の強制、そして先住民女性…

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日中関係

 政治に携わる人々は、過去の政治家達が行った様々な外交努力についての認識をきっちりと持つべきである。  よく日本は何度謝罪すればよいのか、ということを主張する人がいるが、政治の中心にいる人々は、その謝罪の路線上に自らの行動を置かなければならないのである。日中関係ならば、1972年の日中共同声明、1978年の日中平和条約、あるいは1998年の「平和と発展のための友好協力パートナーシップに関する日中共同宣言」などである。これに反する言動は控えるべきなのである。なぜなら、国家間の約束事なのだから。  また当然、その背景にある歴史問題は避けては通れないことも認識すべきである。日本は中国に侵略し、中国の人々に塗炭の苦しみを与えたのである。中国を旅行して老人から話をきけばよい、必ず日本軍の蛮行を聴くことができる。加害者(国)は忘れたいだろうが、被害者(国)は決して忘れないのである。  日本の指導者は、まったく大人げない。論理的には、中国の指導者が指摘することに理があるといわざるを得ない。  日本は、サンフランシスコ講和条約で、極東軍事裁判所などの裁判を承認して国際社会に復帰している。そこに「勝者の裁き」があると批判する意見もあるが、少なくとも政治の中心にいる者は、国際社会の約束を守らなければならない。つまりA級戦犯に対する姿勢である。  日本経済新聞社説(5/24)には、  「胡主席は小泉首相がA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社に参拝していることなどを「目にしたくない動き」と批判。「…

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「大日本帝国」と地域史

昨日に引き続いて、過去に戦争について記したものを少ずつ紹介していく。これは、それぞれの自治体が編纂している自治体史について、考えたことを記したものである。 「静岡県近代史研究会」会報に載せたものである。 ****************************************************************  私は、様々な自治体史を読むなかで、いつも不満に思っていたことがある。それは、日本近現代史のなかに「大日本帝国」が記されていないことであった。地域の歴史的展開と「大日本帝国」のそれとは、あたかも無関係に存在しているかのような記述が多く、「日本近現代史」の叙述のなかでは侵略戦争や植民地支配は語られる、だがそれぞれの地域の近現代史では、戦争に動員される姿(人、物資、カネ)は描かれるが、その地域が「大日本帝国」のもとにあり、侵略戦争や植民地支配のいわば「基盤」であったことについての言及はなされないのである。  周知のように、近代日本国家は、諸外国との戦争、そして周辺地域の植民地化を推進するなかで形成されていった。近代日本国家の確立にとって、戦争と植民地支配は不可欠の要素であったのである。  それは地域も同様であったはずだ。戦争といい、植民地化といい、それらは現象的には対外的な関係ではあるが、しかしそれらは同時に「大日本帝国」の内部をも規定する不可欠の要素として存在していた。対外的な問題であると同時に国内的な問題であること、そしてそれは同時に地域の問題でも…

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B29 体当たり事件(1945/5/29)

今年は戦争が終わって60年、戦争について書いたものを、少しずつ紹介する。今回は、B29に体当たりした朝鮮人・日本兵のことについて紹介したい。 ********************************************************************************* 1944年6月、中国から飛び立ったB29が北九州八幡製鉄所を爆撃、本格的な空襲が始まった。11月にはマリアナ諸島を基地とするB29により、航空機工場などが高々度から爆撃されるようになった。高度一万㍍を飛行するB29には日本軍の対空砲火は届かず、まさに日本はB29の攻撃にたいしては全く無防備という状況であった。  当初アメリカ軍は重要軍事関連施設を攻撃したが、中途から都市への無差別焼夷弾爆撃に変更し、東京、大阪はじめ大都市を破壊していった。1945年3月10日の東京大空襲では、死者8万3070人、焼け出された住民100万人と甚大な被害がでたが、その後も東京への空襲は続いた。 空襲は、しかし大都市だけではない。静岡県内でも浜松、静岡、沼津、清水、島田、下田などの都市が空襲を受け、大きな被害が出た。  また戦争末期になると、艦載機による機銃掃射などが農村部でも行われた。農作業中、空襲により死去する人も出てきたため、食糧増産の任務をもつ農村の防空が課題になった。 空襲が全国各地に襲いかかっている時、事件は起きた。  空襲は以上のように主に都市部に対して行われたが、大井川中…

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電子図書館「近代デジタルライブラリー」

 国会図書館のホームページに「電子図書館」があり、そのなかに「近代デジタルライブラリー」がある。これが大変便利なのである。  ささやかではあっても、地方都市で歴史の研究に従事していると、地元にはない資料、文献が必要となることもある。現在出版されている書籍については、購入するようにしているが、手に入らないものについては図書館のお世話になる。ところが、地方都市ではなかなか求めるようなものはなく、結局国会図書館に足を運ぶこととなる。時間とカネがもったいないと、いったときはどん欲に資料を求める。  ところが、この「近代デジタルライブラリー」ができたおかげで、行かなくてもすむようになった。現在明治初期の衛生に関する原稿を書いているが、当時の法令などなかなかみることができない。ところが、ライブラリーには、当時の衛生に関する文献が撮影されていて、検索すればいろいろな文献をみることができるようになっている。たいへんありがたい。  ついでにいろいろ検索をかけたら、内村鑑三が現在の中川根町を訪問していることがわかった。「愛すべき田舎漢を其故郷に送り届く」ために、島田駅で下車し、水が多く船では行けないので金谷から陸路中川根村字上長尾まで歩いたということが、『よろづ短言』の「大井川上り」という短文に載せられていたのである。1902年、明治35年のことである。そこには、「山又山」の厳しい道路事情が記され、紀行文として意義深いものがある。  この「愛すべき田舎漢」というのは、同地出身のキリスト者・高木壬太郎のことであ…

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【朝日川柳】から(2005/5/7)

 今日の「朝日川柳」には、なるほどという川柳がいくつか載せられていた。 (1)「戦場に行かない人の改憲論」(糸井恭子 さん)    その通り、国会でいろいろ議論している人は、戦争にはいかない。あるいは親族に自衛隊員が いる議員もいるかもしれない。だがおそらく死なないだろう。旧日本軍は、下級兵士ほどたくさん死 んでいる。戦死にも、あるいは戦病死にも、厳然として「階級差」はあった。  現在イラクに派遣されている米軍兵士、ほとんどが貧しい階層の出身者と聞く。 (2)「戦みな愛国無罪で始まりぬ」(増田謙一郎 さん)    これもなるほど、である。国家というものは恐ろしいもので、非戦時下では人を殺すと、犯人を殺人罪で刑務所に送る、戦時下ではたくさん殺すと勲章を与える。  国家は、自らが行うことはすべて「無罪」としたがる。1945年8月15日に終わった戦争でも、戦争を引き起こした人々を免責するどころか「神」として祀りあげ、せっせと参拝する。被害者が抗議しても、「国家のために命を投げ出した人を参拝して何が悪いか」という。もちろん個人的に参拝するのは自由だ、信仰の自由があるのだから。だが、わざわざ目につくように、しなくてもよいだろう。ほんとうに大人げない。これでは「謝罪」(ただし、国家の謝罪とは「ごめんなさい」と頭を下げるだけではない)しても、疑われるのは当然だろう。  国家がすることは「無罪」、国家のためにすることは「無罪」・・・これが近代日本の歩みを破滅に導いた。戦後とは、そういう…

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【本の紹介】三崎亜記『となり町戦争』

 話題となっている本である。だから読んでみた。  カフカの『変身』の如く、すでに「事態」のなかに自分自身が存在してしまっているという恐怖。しかし同時に、与えられた「事態」の上に自分自身が生きているという感覚。しかし、現実的な日常の生活はほとんど変わりはない。日常の中の「非日常」、「非日常」のなかの「日常」。  この場合の「事態」とは、となり町との戦争であるが、「事態」は自らの意思を素通りして進んでいき、戦死者もで、戦争が終わる。そのなかに主人公は、リアリティを持たぬまま、戦争の渦中に投げ込まれ、住民として戦争を支える。  戦争を推進するのは、通常の行政機構である。自治体が日々遂行している業務と同様の方式で、あるいは通常の業務の一つとして、淡々と戦争が遂行される。戦争とはまさにそういうものであろう。  私は最近、「満州移民」についての原稿を書いた(『中川根町史』資料編下巻 付録)。日本人移民による農業経営は成功するはずがないことが当初から指摘されていた、にもかかわらず満州移民は実施されたこと、また戦争の激化により満州への移民数を確保できなくなっても、それでも行政やその関係団体は移民送出を続行したことなどを指摘し、そこに私は、現代にもつながる官僚の「論理」を指摘したのである。  一度決定したならば、それが失敗であろうと何であろうと、それを包含する一つのシステムが崩壊するまでその政策は続行される。  戦争もおそらくそうなのであろう。一度決定されると、官僚機構(行政機構)が法や手続…

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