【本】伊藤守『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社新書)

 昨年3月11日、東日本大震災に引き続いて福島第一原発事故が起きた。テレビニュースを見ていた私は、あまりに政府発表のみならず、テレビメディアの報道のひどさに唖然として、別のブログ(goo)で原発事故についての情報を流し続けた。    そのブログには、多くの人々からアクセスがあり、私自身も驚いたほどだ。  さて、この本は3月11日から1週間、テレビは何を報道し、何を報道しなかったのかを検証したものだ。すでにテレビや新聞などのマスメディアの信頼性が疑われて久しいが、この事件の報道はそれを決定的にした。とくにテレビメディアは、政府情報の垂れ流しで、信用できないものだという認識が大きく広がった。  今、放射能汚染に関する食品の安全基準について、人々が「信用できない」としているのも、その頃につくりあげられた認識であり、その認識は正しい。  さてその報道であるが、伊藤氏は繰り返して次の事実を突きつける。  「「ただちに健康に影響はない」との政府発表を流しながら、他方で自社の社員には「危ないから入るな」と指示する自己矛盾のなかで、テレビは放送し続けたのである」(243頁)  今もってテレビメディアは、この自己矛盾を検証することをしていない。していない以上、「信用できない」という状況は続く。おそらく彼らは検証はしないだろう、なぜならば彼らは視聴率を稼ぎ、広告料を多額にして経営を安定させることしか考えていないからだ。もう「報道機関」としての役割は、はなから放棄しているといってもよい…

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【本】アーニー・ガンダーセン『福島第一原発ー真相と展望』(集英社新書)

 新聞から、福島第一原発の事故の現況についての報道がほとんどなくなっている。  この本を書いたのは、アメリカの原子力技術者。福島にある型式の原発の建設などに関係していたこともあって、説得力ある筆致で、事故の状況を説明している。  この人の発言は、『週刊朝日』の臨時増刊号、『朝日ジャーナル』にも載っているが、今読むべき本と言えよう。  事故の真相と、事故を起こした1から4号機の状況、これから長期間にわたって行われていく危険を伴った廃炉と、それに付属する廃棄物処理の行方、それから放射性物質が起こす様々な健康被害の実態、それから避難と除染について、そして原発の「黒い歴史」など。  福島第一原発の各号機は、今でも危険であるが、特に4号機について大きな危険があることを指摘している。4号機の核燃料は、格納容器などにははいっていない、冷却用のプールにあり、それが傾いていて、大きな地震があったらひょっとしたら崩壊する・・破局が訪れるということだ。  また健康被害についても、厳しい指摘がある。最近放射能がついた瓦礫処理の問題が起こっているが、氏はこう指摘している。  「放射能を帯びた廃棄物を、通常のゴミと同じように焼却処理してはいけないのです。二次的、三次的な汚染が生じてしまい、収拾がつかなくなります」  「(日本政府は)汚染を封じ込めるのではなく、むしろ薄く広く拡散しているようです。放射能汚染の解決策は、“希釈”というわけでしょうか。とんでもない話ですが、数年後、健康被害…

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【本】直野章子『被ばくと補償 広島、長崎、そして福島』(平凡社新書)

 時宜にかなった本である。  今後(余りに遅いが)、福島の原発事故で被災した人々には、東電から当然補償金が支払われるだろうが、しかし、広島、長崎の被爆者に対し、政府は誠意ある対応をずっとしてこなかった。できうる限り、金を出したくない(軍人軍属には軍の階級に応じて多額のカネを支給してきたのに)、国家補償をしないという方針のもとに、ヒバクシャをずっともてあそんできた。  著者は、そういうことのないように、ヒバクシャたちがどういう状況におかれてきたか、そしてどのように闘いとってきたのかなどを確認しながら、この後に必ず出されてくる福島原発災害の補償上の問題点を指し示す。  本書は、広島・長崎、そして福島に関わる様々な論点につき、政府などがどのように欺瞞的な対応をしてきたのかを明らかにしている。  まず低線量被ばくの問題が論議されているが、広島・長崎以降、日本で、国際社会で、IAEAや日本政府がどうごまかしてきたのかを調べて、その問題点を明らかにしている。  また、福島原発に関わっている放射線影響研究所の欺瞞的な存在、政府が一貫してとってきた「受忍論」などを論駁する。  補償に関わる論点を網羅的に明らかにしているので、読んでおくべき本である。本当は、もっと詳細に報告したいのだが、重要な論点が多いので、とても短文では紹介しきれない。とにかく読むに値する本である。  

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色川大吉『若者が主役だったころ』(岩波書店)に寄せて

 この本については、私はほかのところに書いたばかりだ。しかしそこは、運動について書くところではないので、ここに備忘録的に書いておきたい。それは日本共産党のことだ。  色川氏は、当然ながら60年安保闘争に積極的に関わった。そのなかで、日本共産党のありかたに強い怒りをもった。岸政権の強行採決に対する怒りが多くの国民を国会議事堂の周辺(いや東京だけでなく全国各地の街頭)に出現した。しかしこの動きを社会党や共産党は、民衆の抵抗権行使を促すのではなく、それを沈静化させようという方向に指導した。  樺美智子さんが殺されたときの判断について、色川氏は「日共幹部のこのときの受動性、浅薄さに驚かされるが、かれらがこのとき考えていたのは、自分の党の安泰と勢力の拡大のことで、大衆の「前衛」として、つねに大衆の前面に立って、おのれを犠牲にしても、民族民主革命の突破口をひらくという積極的な志ではなかった。・・・安保闘争を党利党略(=党員の獲得、「アカハタ」の拡大)に利用していた」と書く。  私も、日本共産党が闘いを前進させるということよりも、自己満足的な自己勢力だけの闘いに収斂させようとしたことを間近で見て、ああやっぱりそうだったのか、と思ったことがある。思想信条が異なる人たちとの統一した闘いではなく、自己の意志がストレートに通じる人たちだけで一定の闘いを展開する(彼らはこれに「共同」という名をつける)ことが、共産党は好きなのである。  日本共産党が、じり貧になっているのは、ある意味で「想定内」…

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【本】河北新報社『河北新報のいちばん長い日』(文藝春秋)

 3・11の大地震は東北地方を襲った。河北新報社もたいへんな被害を受けた。仙台を中心とする東北地方の新聞ジャーナリズムの担い手として、河北新報社にとって大きな試練がのしかかった。  新聞というメディアは落日に向けて歩んでいると言ってもよいだろう。新聞購読者は減り、また若い人々は新聞を読まなくなっている。アメリカでは、新聞社の経営危機が叫ばれている。確かに、新聞社にかつての隆盛は望み得ない。  だが、大地震に見舞われた河北新報社は、新聞発行を持続するために、また読者が何を求めているのかを試行錯誤しながら、厳しい状況の中で新聞発行を続け、また配達した。  この本には、そのときの社内の状況、社員の意識が、未曾有の大震災の姿のなかに描かれている。感動的な本だ。活字というか、新聞の意義・役割とはどういうものかが間接的に記されていると言って良いだろう。  この本は、新聞協会賞を受賞している。そうだろう、この本に書かれていることは、新聞の未来へ向けた可能性が描かれているのだから。  中身を具体的に紹介することは出来ない本だ。だが、新聞とは何か、報道とは何か・・・など、新聞を考えるヒントが記されている。

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【本】高澤秀次『文学者たちの大逆事件と韓国併合』(平凡社新書)

 2010年は、大逆事件と韓国併合が行われて100年であった。100年という区切りの年に、過去に起きた様々な事件を見直してみるというのも、必要な作業だと思う。  本書もその立場に立って、文学的な方面からこの二つの事件を考えようとしてる。  昨日書店によって、この本を見つけた。ちょうど目につき、中身をざっと見渡したとき、「大逆事件と被差別部落」という項目が眼に入った。大逆事件のとき、新宮・浄泉寺の住職であった高木顕明も拘束され死刑判決を受けた。「恩赦」によって死刑は免れたが、秋田刑務所に送られ、高木は自ら命を絶った。  高木が住職であった浄泉寺は、私が住む浜松市と関連があり、それについて一応調べ、すでに原稿は出来ている。  浄泉寺の山号は「遠松山」で、遠江・浜松を示す。また浄泉寺の檀家には被差別部落民が多い。彼らは江戸時代初期、藩主水野重央とともに浜松から移住したという。  その周辺について調べはしたが、ただ私はいまだ新宮に行ったことがない。調査はまだまだ不十分である。その不十分さを自覚しているが故に、先ほどの「大逆事件と被差別部落」ということばに関心を抱いたのである。  読んでみて、中上健次の小説を読まなければいけないこと、大逆事件を契機とした被差別部落への国家の「関心」についてもっと学ばなければならないことを教えられた。  それどころか、大逆事件は近現代の文学者に、強弱はありながらも、影響を及ぼしている。佐藤春夫、与謝野鉄幹、森鴎外、徳富蘆花など、大逆事件につい…

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「棄石埋草」(黒岩比佐子『パンとペン』)

 “棄石埋草”は、明治から昭和にかけての社会主義者・堺利彦のことばである。  堺利彦という社会主義者。明治から昭和戦前期まで、多くの(といっても国民の数からすれば圧倒的に少数派ではあるが)社会主義者のなかでも、そんなに人口に膾炙しているわけではない。その堺利彦が、1910年の大逆事件の前後から、社会主義の「冬の時代」の時期に、社会主義者の糊口をしのぐためにおこした「売文社」。その活動を、堺利彦に焦点を当てて描いた本が、昨年出版された。  黒岩比佐子さん。彼女はこの本を書いて、旅立たれた。  すばらしい本だ。テーマに関わる資料をくまなくといっていいくらい渉猟されているだけでなく、黒岩比佐子という作家は、堺利彦と売文社、そして堺や売文社につながる人びとを、温かい眼差しで描きながら、ときに鋭い批評眼で人物を射る。  本のなかにちりばめられた知の閃光が、つぎつぎと私の知的好奇心に火をつけていく。堺利彦だけでなく、その周辺に集まってきた者たちは、それぞれが個性的で魅力的であるが、それらをきちんと位置づけていく見事さ。  読んでいて、書かれている内容をより深く、より広く知りたいという気持ちが次々と生まれてくる。  また知らなかった事実も。関東大震災の時、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一が甘粕大尉らに虐殺されたが、大正デモクラシーの旗手、吉野作造、そして堺利彦(このとき堺は獄中にあった)らも狙われていたという。東京憲兵隊は市ヶ谷刑務所に堺らの引き渡しを求めていたという。軍隊は、かくも「暴…

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【本】本郷和人『武力による政治の誕生』(講談社選書メチエ)

本郷の本はおもしろい。これこそ実証を重視しながら、自らの歴史像を打ち立てようという意欲に燃えている本だ。本郷も「歴史学とは、一方では史実の確かさを、飽かず検証する振る舞いである。それと同時に他方では、大きな物語の構築に向け、史実の独創的な組み上げに挑みつづける試みであると思う。それを二つながら行ってこそ、歴史学は科学でありながら、夢を語る方法となるのだ」(16)と語っている。  この本には、時に驚く記述がある。たとえば「「幕府」の称号も、武士たちが自覚的に使いだしたのはなんと江戸時代後期であって、学術用語として使用されたのは明治20年ごろのことという。」(103)・・そうだったのか。そして本郷は鎌倉幕府をこう説明する、「幕府とは結局、「源頼朝とその仲間たち」である。鎌倉殿と彼に献身する御家人、御家人同士の仲間意識。生命を媒介とする苛烈な人と人とのつながりが、とりもなおさずそのまま武士の政権であり、幕府だったのである」(104)と。そしてその御家人とは、いうまでもなく在地領主たちであった。そして在地領主たちが、そのような幕府は、平氏の福原政権(これを本郷は、福原幕府としるす)からであるという。  本郷は、鎌倉時代の武士が持つ武力について論じている。  1221年の承久の乱を契機にして、朝廷は直属軍を廃棄した。では何をもって他者に自らの意志を実現させるか。朝廷は「道理」を求め、それによって他者を圧伏しようとした。しかしそれは無理であった。朝廷は幕府の軍事力に依存するのである。ここに朝廷に…

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今日は寒い

 朝目が覚めると、家の前の狭い通りを風が何度も音を立てながら通過しているようで、これなら掟も仕方がないと思い、布団の中で読書。  今、ユーゴーの『レ・ミゼラブル』(岩波文庫)を読んでいる。最近人に読むことを薦めたのだが、私はこれをかなり昔読んだので、細かい内容を忘れてしまっていた。そのときいろいろ質問され、こたえられなかったので、これではまずいと思い4巻本を購入。  今日は戸外に出る気がないので、電気カーペットの上に毛布をかけて読みふけっている。  昨日は、『芸術新潮』と『法と民主主義』が届いた。前者は沖縄の美が特集されている。  美というのは、あらゆるところに発見できることだ。農作業に使う一つの鍬にも美を感じることがある。また天竜川の堤防に桜並木があるが、現在葉をほとんど落とした枝が、後景の寒空にシルエットとなり、通るたびに美を感じる。美はひろく存在するのだと思う。  後者はどうしようもない検察の問題のついての特集である。検察が警察とぐるになって、無実の者を処刑台に送ったり、罪人に陥れたりするのは、今に始まったことではない。日本の検察制度の歴史を繙いてみれば、検察の「悪」は、制度導入の最初からのことである。日本には人権が根付く前に、権力悪が幅をきかしてしまったのだ。  沖縄と言えば、米軍もひどいことをする。 高江ヘリパッド、米軍ヘリ接近 1分間ホバリング、テント損壊 2010年12月24日 Tweet  【東】23日…

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【本】町田宗鳳『法然・愚に還る喜び』(NHKブックス)

 法然がいわゆる鎌倉仏教の創始者のなかでもっとも注目すべき宗教家であると、各所で指摘されている。私も、法然がいかなる人物であったのか知らなければならないという気持ちを持ち続けていたところ、この本が目についたので購入した。そして一気に読んだ。知的刺激に満ちた内容であった。  私はとくに信仰を持っているわけではない。先祖の墓が曹洞宗の寺院にあるので、人に聞かれたら曹洞宗ですなどと答える平均的な日本人の一人である。さらに「あの世」や「死後の世界」があるということも信じてはいない。人は死んだら無になるのだろうと漠然と思っている。  さてこの本の著者はユニークな経歴の持ち主であり、また「あの世」というか「死後の世界」というか、そういう世界の「存在」を信じているようだ。こういう点については私とは意見が合いそうもないが、しかし内容はとても知的であり、またわかりやすく、同時にエネルギーを与えられる。また時に私にとっても気になることが記される。最初にそういうことばを抽出してみよう。 「私はいつも歴史に意志を感じます」(15) 「単なる知識が、時代の流れを変えるほどの画期的思想を生み出すはずがありません」(17)「力のある思想の核心には、つねに揺るぎのないイメージがあります。それはヴィジョンと言ってもよいものですが、新たな価値観をつくり出すことができるかどうかは、どれだけ具体的なイメージをもつことができるかにかかっています。」(20~21) 「人間の「声の力」には、私たちが考える以上…

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【本】榎本泰子『上海 多国籍都市の百年』(中公新書)

 上海には二度行ったことがある。ただし、上海は南京へ行くためであったり、また杭州からの帰途に立ち寄っただけで、上海そのものを観光したことは一度もない。  上海がテレビに映ると、そこは私にはまったく見覚えのないところである。だが上海は、日本の歴史を考える上でも重要なところである。  まず魯迅が住み、そこに内山書店があった。そして日中全面戦争のなか、1937年上海に松井石根の上海派遣軍が上陸し、静岡県出身の兵士も多くそこで斃れている。  私は天津の旧イギリス租界にいったことがあるが、そこには租界時代の建物があり、中華レストランになっていた。上海は租界があったところ、その歴史を本書で知った上は行ってみなければならない。  本書の特徴は、上海租界との関わりを、イギリス人、アメリカ人、ロシア人、日本人、ユダヤ人、そして中国人と分けて記述しているところである。その方法は成功している。面白い。この方法により、租界の歴史をより明瞭に表している。  また上海に来た人びとが、上海をどう記述しているか、そういう資料を使って、実際に上海に住んだり、訪れた人の目から上海を描こうとしている。  いわば上海の租界を多角的な目で見つめることによって、その姿を描くのだ。  そう難しい内容でもなく、研究書でもない。気楽に読める。しかしそのなかに、鋭い批評眼がある。良い本だ。以前買っておいたもので、2009年刊行。  ああこういう本がたくさんある。どんどん読まなければ・・・・・。政治が停…

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ことばの力

 長田弘、という人がいる。詩人である。私は、『私の20世紀書店』(中公新書だったか?)から、しばしば長田さんのことばを味わっている。  長田さんが紡ぎ出すことばには力がある。紡ぎ出されたことばの背後に無限大の精神世界があり、その精神世界から、もっとも適切なことばが選ばれて、私たちの前に提示されるからだ。  かつてわが国が植民地支配を行った隣国が二つに分断され、対立し合い、しかし時に賢明な人びとが現れ、その対立を無化しようと地道な努力を行ったりした。だが、その対立はなかなかなくならず、双方が暴力装置としての軍隊の「力」、それはまさに暴力そのものであるが、それを時に誇示して自らの権力を強化する手段として使ってきた。ところが、その暴力が本当にふるわれるとは思わず、「訓練」をしていたら、相手方から不意打ちをくらい、あたふたとその弥縫に奔走し、今度は兄貴分まで連れてきて「暴力」を誇示しようとする。  その相手方も、政権の継承を「暴力」の行使による「国威発揚」(ああ、このことばはかつて日本が行っていた戦争中に使われた手垢にまみれたことばだ)で「飾る」ことを考えているようだ。  同じ民族が、二つの国家に別れて、双方が殺し合うという愚(これは一度過去に行ったことだ)を繰り返そうというのだろうか。  日本の植民地支配政策に憤り、その後の冷戦下の南北分断に悲しみを覚え、植民地支配の責任にほおかむりしている日本政府に腹を立て、朝鮮半島の平和的な南北統一に希望を抱いている、まったくの小さな小…

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【本】宮地正人『通史の方法』(名著刊行会)

 これは岩波新書・近現代史のシリーズの一冊として刊行される予定だったという。それだったら、もっと安価になったのにと思う。この本2800円(+悪税)。これでは買えないと思い、図書館で借りた。  良い本だ。私は岩波新書のこのシリーズを一応読み通した。宮地さんは主に第1巻と第2巻を批判している。第1巻については、井上勝生氏の叙述に対して、史料を見せろ!と主張する。私は井上氏の主張する論点につき、なかなか面白いと思いながら読んだ。今までにない叙述で、維新史を今までのとは異なる切り口で叙述したと思っていた。しかし宮地さんは、井上氏の叙述に史料的根拠が薄弱であることを痛烈に批判する。  宮地さんは、東京大学史料編纂所に勤務しながら近現代史の研究をしてきた。史料と、厳しい史料批判にもとづく歴史を叙述してきた。そういう史眼をもつ宮地さんにしてみれば、「異なる切り口」であるが故に、史料を見せろというのであろう。  確かに、歴史を叙述するとき、新たな視点や切り口を考える、探すというようなことをする。従来の歴史叙述に少しでも自らの研究の結果をつけ加えたいと思いながら、歴史書を読み、史料を読む。日常生活をしながら、頭の中にはどう書こうかという想念を持ち続ける。そして最初の文が脳裏に浮かび上がってきたとき、叙述の流れは決定する。しかし、歴史学は史料なしには書けない。フィクションではないからだ。とにかく史料的根拠がなければならない。  井上氏の『幕末・維新』も史料的根拠がないわけではない。ひとつひとつ…

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【本】曽根英二『限界集落』(日本経済新聞社)

 岡山県の中山間地域の「限界集落」に生きる人びとを描いた本である。過疎から消滅へ。中国地方をはじめ、中山間地域から村が、そして人びとが消えていく。都市へ出て行く人びと、残った高齢者が次々と亡くなっていく。  岡山県新見市の厳しい現実が詳細に報告される。だが、そこに残る人びと、といってもかなり高齢の人びとだが、残っている人びとのなかに、そこに住むことに誇りを持って生きている人びとがいる。蔓牛の復活に生命をかけている平田さん、農民作家の太田さん。平田さんはその仕事に誇りを持ち、牛飼いという生業を、産業化することを考えている。  中山間地域に生きることが出来なくなっている背景には、農業や林業では食っていけないという現実がある。だから、中山間地域に産業が必要なのだ。  その事例として、新見市豊永のピオーネ産地の例が取りあげられる。この地域はピオーネの生産により経済的には生活できるほどの収入がある。ピオーネ農家の後継者問題がありながらも、他方で若い人びとが東京や静岡、滋賀県などから転入し、新たに農業に取り組む姿が描かれる。  このように、厳しい現実だけではなく、未来につながる新しい芽も描かれている。  そして産廃問題で粘り強い闘いが行われた豊島の「限界集落」化も紹介される。「限界集落」は、中山間地域だけではないのだ。  私は10年ほど前、豊島を訪れたことがある。島に着くと、産廃反対運動をしていた人びとが運転する軽トラックの荷台に乗せられ産廃の山の上に案内された。私は、産廃…

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【本】石川禎浩『革命とナショナリズム』(岩波新書)

 本書は1925年から1945年までの中国の歴史を記したものだ。この時期に関する私の知識は、10年以上前の段階のものなので、最近の研究を踏まえた本書は記述もわかりやすく、実証的で、私にとって大いに勉強となった。  この時期は、書名にもなっているように、中国におけるナショナリズムが形成・発展していく時期であるが、その形成がまさに日本の侵略によって形成・発展していったことがよくわかる。  最近の中国におけるナショナリズムについて批判的な論調を見受けるが、中国のナショナリズムそのものが日本がつくり出したものであるという、歴史的な経緯を忘れるべきではない。  日中戦争などについて学んでいる私にとって学んだことはいくつかある。  山東出兵がまったく「条約的根拠」がないこと、済南事変の意義、張学良の「易幟」のもつ意味、塘沽停戦協定がなぜあのような内容で成立したのかの背景、西安事件の詳細な事実・・・などである。  「現在の中国では、1937年から45年の8年にわたる戦争で、中国軍民の死傷者は3500万人以上、財産の損失は600億ドル以上と推計されている。他方で、日本軍の死者は約47万人と見積もられている。中国人を屈服させる、簡単に言えばただそれだけのために行われた戦争と無数の蛮行・殺戮によって、日本はそれまでの日中関係史を根本からぶち壊すような巨大な不幸をつくりにいったといわざるを得ない」(228)  中国のことを考える時、このことに意を払わなければ、よき日中関係はつくりだす…

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【本】柴田南雄『日本の音を聴く』(岩波現代文庫)

 柴田南雄は作曲家だ。もう亡くなっているが、柴田のレコードは持っている。「柴田南雄の世界」というような題だったか、今レコードプレイヤーがないので聴くことが出来ない。かなり前に発売されたものだ。  柴田が作曲したものは、日本のアナログ的な伝統を基礎にして、そこに西洋音楽をミックスしたようなものだが、なかなか魅力的なのである。しかし前述のレコードを購入してから以後の作品については、まったく知らなかった。  この本を買って、その後もたくさんの作品を作曲していることを知った。そして、柴田は「遠州大念仏」という遠州で行われている盆行事に関心を抱き、わざわざ豊岡村上神増(現磐田市)まで来ていることを知った。そしてそれが「念佛踊」に採り入れられていることも知った。  柴田は日本の伝統的な楽曲を採譜し、それらを作品のなかにとりいれ、みずからの音楽世界を創り出しているのだ。  その世界は、日本の古典文学だけでなく、世界の古典文学、宮沢賢治や民話、自然科学の本、民謡、萬歳・、祭り囃子・・・・・・・様々なものから引きだされたものによってつくられる。壮観である。  この本から、『古事記』の擬声語「こをろ こをろ」「もゆら もゆら」を教えられ、縄文の石笛、弥生の塤(つちぶえ)などの「楽器」(?)を知り、そして厳しい指摘を知る。  今日の西洋音楽はコマーシャリズムとエレクトロニクスの激しい攻勢による歪みを甚だしく受け、ある意味では音楽の本質を遠く離れたものに変質してしまってい…

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社会現象は人為的

 大沢真理『生活保障のしくみ』(岩波ブックレット790)を読んだ。560円+悪税であるから、大学生でも買えるだろう。ぜひ読んでほしい。  私は、しばしば、社会現象は人為的なものが多い、とよく言う。自然現象は人間がなかなか変えられるものではないが、社会現象は、自然にそうなったのではなく、人為的に、とくに政治のレベルでの様々な政策でつくり出されてきたのだと語る。  格差社会がその典型である。格差社会の背景として、非正規労働者の増加があげられる。これは1990年代半ば日経連がそうしたいと言いだし、それを政府が積極的に受けとめ、派遣労働などを自由化してきた結果である。 http://hurec.bz/mt/archives/2006/08/002_199505.html  この大沢氏の本は、この問題だけでなく、現在の国民生活が置かれている現状が、様々な統計資料をつかって示され、そのよってきたる原因、そして展望までが書かれている。  民主党政権になって少しは良くなるのかなという期待を持ったが、これは裏切られつつあるといってもよいだろう。となると、私たち自らがこの現状を変えていく方向性を模索しなければならない。この本に書かれている内容は、その際に大いに役立つだろう。  困難な日本の社会を変革していくことを、真剣に考えていかなければならない。

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【本】クォン・ヨンソク『「韓流」と「日流」- 文化かから読み解く日韓新時代』(NHKブックス)

 とても良い本だ。冷静で理性的な思考にもとづき、日本における「韓流」、韓国における「日流」を、きちんとした材料により、未来志向での分析が行われており、こういう本がいろいろ出てくると、情緒的な対韓認識も良い方向に変わっていくのではないかと思う。  外交は、政府間だけでおこなわれるものではなく、個人個人も外交の担い手になる。そしてもちろん文化もである。日本における韓国・朝鮮に対する悪しき差別意識に、わたしも心を痛めていたのだが、最近の韓流ブームで、変わってきたなと一定喜んでいた。  音楽や文学、そしてタレントなどが相互に行き来して、それぞれ対日、対韓認識が好転していくという現実を、具体的に提示し、それが将来の日韓関係、さらにはアジア諸国間関係にまでひろげられないかと積極的な提案も記されている。  残念ながら、日本では一部の人たちに、きわめて情緒的な「嫌韓」派の人びとが、時に大声を上げているが、しかし日韓の関係は、そういう人たちの跳梁を許さないまでに成長してきているようだ。  韓国の人たちの「反日」の「日」は、日本帝国主義であり、日本植民地支配であり、さらにそれにつながる差別的な行動や「妄言」などであって、具体的な日本文化や日本人ではないという、きわめてまっとうな指摘もあり、日韓の文化交流の現状と、今後の日韓関係を考える意味で、とても参考になった。  私は、韓国の人びとが読んでいるような日本の小説を読んでいないのだが(たとえば村上春樹が大人気のようだが、私はどうも彼の小説が…

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【本】ファン・ソギョン『懐かしの庭』(岩波書店)

 読み始めて、本を置くことさえ許さない、そういう小説であった。二日間で読み終えたが、布団の上で読み続け、もう眠らなければならないと思っても、活字を追い続けた脳が、それを許さない。  1980年代韓国の激動の時代。その激動の時代を、主人公オ・ヒョヌは生きた。政治犯として指名手配され、地下生活中に一人の女性と出会い、生き、そして逮捕、別れ。その別れが、そのまま本当の別れとなる。国に囚われている間に、その女性ハン・ユンヒは亡くなってしまう、ひとりの子どもをのこして。  いずれは出獄してくるであろう主人公に、ユンヒは別れた後の自らの生の軌跡と、主人公への思いを書き綴る。小説は、獄中の主人公、出獄した後の主人公、そしてユンヒの手記とを織り交ぜて、1980年代の韓国と世界を綴りながら、そのなかで繰り広げられた運動を総括的に提示していく。  韓国における民主化運動は、国家権力の暴力にさらされながらのきわめて苦しいものであった。軍事政権の暴力をより過激にしていったのは、当然にも南北分断という状況であり、それこそが軍事政権をより暴力的にしていったものである。  ファン・ソギョンは、末尾でドイツの東西分断の壁の崩壊を記す。いずれ同じように朝鮮半島でも崩壊するであろうことを遠望しながら、ファンは現実の困難さも指摘している。  一度でも政治運動に関わり、それが自らの生そのものの深奥に深く突き刺さってしまった人間は、どうしようもなく政治に翻弄され続けて生きて行かざるを得ない。若い頃に培った理想…

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Hさんへ 

 戦争を描いた小説が読みたい、どんな本を読んだらよいのかと問われました。  私は、いつも五味川純平の『人間の条件』(今、岩波現代文庫にあります)をまず薦めます。Hさんはもう読んだそうですね。    次に、大岡昇平の戦争小説(これも岩波現代文庫にあります)も薦めました。  戦争に関する小説は、日本のものだけではなく、海外のものも私は読んでいます。たとえばもう発売されていませんが、クロード・モルガンの『人間のしるし』、『世界の重み』(岩波書店が発売していた)があります。私はこの本に大きな影響を受けています。これは図書館にはあるでしょう。でも活字が少し読みにくいかもしれません。  モルガンは、ナチスドイツ支配下のフランスで、レジスタンス運動を行った人です。過酷な世界に生きるからこそ見える人間の真実が描かれていると思います。  「過酷な世界」といえば、アウシュビッツ収容所からの生き残ったプリモ・レーヴィの著作も、人間についての深遠な洞察が書かれています。  プリモ・レーヴィの著作は、『アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察』 (朝日選書)、『[溺れるものと救われるもの』(朝日新聞社)、『 休戦』 (岩波文庫)などがあります。これは現在でも販売されています。  そして今、私はファン・ソギョンという韓国人が書いた小説を読んでいます。今年は韓国で起きた光州事件から30年。私は2010年があの事件から30年だということに気づかないでいました。韓国強制併合1…

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【本】大岡昇平『ある補充兵の戦い』(岩波現代文庫)

大岡の戦争文学の一冊。この本については、川本三郎の見事な解説があり、それに付け加えるものはない。  川本が言うように、大岡は見る人である。何を見るかというと、まず自分自身であり、周辺にいる「戦友」のひとりひとりであったり、時にはミンドロ島の自然であったり、そこに住む人々の家屋や生活であったりする。「時には」を自然や住民たちの生活などにつけたのは、旅行記などの風景を叙述する(紹介する)文ではないからだ。何時襲ってくるかもしれない死と向き合いながら、私から見ればきわめて過酷な軍隊生活をおくるのであるから、描かれたものは部分的である。  大岡の目は、理知的な目である。その目はまず自分自身に向く。自分自身の精神の動きを、冷静に理知的に書き綴っていく。戦場における自分自身の精神の動きを緻密に、周囲の状況を織り交ぜながら、よくもこのように書けるものだと感心してしまう。このような戦場での精神の動きを記憶していたのだろうか。  印象に残った箇所を抜き書きしておこう。  私はこの負け戦が貧しい日本の資本家の自暴自棄と、旧弊な軍人の虚栄心から始められたと思っていた。そのために私が犠牲になるのは馬鹿げていたが、非力な私が彼等を止めるため何もすることができなかった以上止むを得ない。当時私の自棄っぱちの気持では、敗れた祖国はどうせ生き永らえるに値しないのであった。しかし今こうしてその無意味な死が目前に迫った時、私は初めて自分が殺されるということを実感した。そして同じ死ぬならば果たして私は自分の生命を自分を殺…

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なぜ『故郷はなぜ兵士を殺したか』に否定的な評価をするのか。

私の簡単な書評に対して、「読書能力」や「人格」が疑わしいという批判を受けた。そこでもう少し、なぜこの本に否定的な評価を与えたのか、簡単に説明しておこう。  著者は、「はじめに」で、本書に関するいくつかの問題意識を記している。  「(死者の意義付けをする「主体」として〈郷土〉を挙げ)個人の感情と国家の論理の間で、郷土がどのようなかたちで兵士たちの死を意味付け、あるいは意味付けなかったことが近現代日本の人びとの戦争観というべきものをいかに規定してきたのかを問いたい」(5ページ)。「〈郷土〉はいかなる手段で兵士の死、苦難の意味付けを行ったのだろうか」(6ページ)、「〈郷土〉がいかに兵士たちを拘束し、やがて見捨てていったのかを明らかにしていきたい」(6ページ)、「市町村といった地域社会に焦点を合わせることで、ごく「普通の人びと」がどのような文脈で自己と戦争を関連付けたり、あるいは関連付けることを忘れていったのかを追究していきたい」(10ページ)。これらが本書のテーマであろう。見られるように、主に〈郷土〉という視覚から、戦争との関連、兵士の死の意味付けについて考えていこうというものだ。  以上のテーマに基づいて著者は本書を書いているのであるが、その内容について、私が疑問をもつところをいくつか記しておきたい。 (1) 著者は、〈郷土〉を「主体」としてとりあげようとしている。だが、そもそも日本が行った戦争について、国家が動員した兵士たちの死について、〈郷土〉が独自に意味付け(意義付け)…

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【本】一ノ瀬俊也『故郷はなぜ兵士を殺したか』(角川選書)

この本、いろいろ書いてあるが、あまり目新しいことは書いていない。何を明らかにしようとしているのか、焦点が定まっていない。  明らかにすることは、「死んだ兵士の意義付けと生きた兵士の意義付けは同時並行で、同じ〈郷土〉という主体によって行われた。その過程で、生きた兵士には死んだ兵士に“倣う”ことが要求されていったのである。これを中心となって担ったのは国でも近隣の親しい人びとでもなく、〈郷土〉の人びとであった。その意味で、〈郷土〉は人びとにとって親しいものであったけれど、同寺に彼らを拘束し、死へと追いやるという面も持っていた。」(はじめに)だというのだ。  死の意義付けは、当然国家が行っているのであって、一ノ瀬氏が使用しているたくさんの資料は、ほとんど公表を前提にしたものであるから、国家に追随する意義付けにしかならない。読んでいて、最初からそんなことわかっているでしょう、と言いたくなった。  また「同時代人にとっての日露戦争の意義なるものは、果たして後世のわれわれが思うほどに明快だったのだろうかと一度疑ってみてもよいのではないか」と記しているが、動員された兵士や一般の庶民たちは、今まで「日露戦争の意義」なんていうものが「明快」だったことなんてあるの?と、私は聞きたくなってしまう。  また「戦時中の人びとは、自分がなぜ戦争に行くのかを考えるにあたって、「お国のため」ということはあっても、「郷土のため」ということはほとんどなかった。この出征兵士が「故郷のために戦う」と述べたのは、戦争末期…

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【本】髙山文彦『エレクトラ 中上健次の生涯』(文春文庫)

 若いときから、中上健次に関心を持っていた。しかし読まなかった。中上が46歳で亡くなったことも知っていた。しかし読まなかった。  最近、大逆事件に関する本を読んでいて、中上が新宮出身であることを思い出した。新宮は、事件の関係者がいたところだ。新宮には何かあると思って、ちょうどこの本が出たので購入して読んでみた。良い本だ。中上という人物、中上をつくりだし新宮というところ、そしてその作品について、よく説明している。つまり中上という作家をよく顕している。 中上は、被差別部落に生をうけ、貧しく複雑な家系をもって生まれた。そのような生に規定されてしまえば、中上が言うように、ことばではなく、永山則夫のごとく弾丸をぶっ放していたのかもしれない。しかし中上はそうならなかった。読んでいくと、母が「再婚」(?)した家庭が、高度経済成長とともに豊かになっていったことから、物質的にも精神的にもある種の「ゆとり」が生じたことがうかがえる。そのような「ゆとり」を背景にして、中上は東京で自堕落な生活を送った。だがそのなかで、中上は様々なものを吸収し、作家として生きていく上での栄養としていった。  中上の家庭には、活字がなかった。活字に接することはいけないことであるという家庭の不文律があり、中上は親に隠れて本を読んだというが、そういう状況であっても中上は膨大な本を読んでいる。彼の作品にはそれが反映されている。 中上の作品は、自らの出自とそれにまつわる地域と家系、そしてそれを凝視する眼、さらに膨大な…

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【本】野見山暁治『遺された画集 戦没画学生を訪ねる旅』(平凡社)

 戦争で亡くなった東京美術学校の学生、卒業生の遺族を訪ねる旅が32。緊張した、ピンと張り詰めた筆致の中に、一人一人の画学生の姿が現れる。  だが、読んでいて、一人一人の画学生の姿が、現れては来ない。文を読んでいるときには、うっすらとその姿が見えてくるのだが、読み終わると消えてしまうのだ。なんか、読んでいてはかない。「はかない」とは、狭い場所を意味する「はか」がない、という意味らしいが、その「はか」すらぼんやりとしている。  戦争は、かくも有能な画学生の生命を奪ったのか。もちろんいずれも若い人びとだ。「若い」ということは、死とは無縁に生きているということだ。死は、はるかはるか遠い、見通すことの出来ない先にあるものだ。だから絵や作品のほとんどに、死が描かれてはいない、いや意識すらされていない。絵や作品は、まさに生の凝縮されたものである。  だが、画家である野見山は、32人の死を描かなければならない。本書は、そういう内容だ。  野見山の文は、本当にうまい。文の行間が、広くてまた深いのだ。一つ一つの文には、戦死した画学生の生と死、その後の遺族の生と死、そして野見山の「彼」との交わり(生)が、短い文章の中に織り込まれる。  だが、なぜか、その一つ一つの文を読み終わると、その内容がサーッと消えていくのだ。  戦争は、人びとの生を消していく。遺された人びとが、それらの生を消すまいと思っていても、時の経過も、彼らの生を消していく。  私たちは、それに抗えない。だが、消…

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【本】樋口雄彦『静岡学問所』(静新新書)

 国立歴史民俗博物館の樋口さんの新著が、昨日送られてきた。樋口さんは、沼津兵学校の研究で大著を現している。沼津兵学校と姉妹関係にあった静岡学問所に関する研究書である。  大政奉還、戊辰戦争のなか、徳川幕藩体制が崩され、徳川宗家(将軍家-徳川家達)は、静岡藩の藩主として、旧幕臣とともに駿河府中(駿府、現静岡市)にやってきた。静岡藩は旧幕府の人材、蓄積された文化などをもって静岡に来たが、そこでさらに教育にも力を入れた。その代表が、沼津兵学校であり、静岡学問所であった。  これらの学校の教授・生徒は、後に明治新政府の官僚となって活躍する。明治新政府は、頭は薩長土肥であるが、体は旧幕臣によって運営されたといってもよいだろう。  沼津兵学校については、いろいろな史料や関係者が書き残していたりして、かなり詳しいことが判明するが、静岡学問所についてはあまり詳しくわかっていなかった。  しかし樋口さんは、どこからこういう史料・文献を探し出すのだろうかと思うくらい、古今東西に広く目を配り、旧幕臣に関する史料・文献を利用している。本書も、そうしたものだ。  私は、樋口さんの研究分野に足を踏み入れたことはないが、関係するものとして「静岡県の工業教育」や、青山学院長にもなった「高木壬太郎」について書いたことがある。その際、樋口さんの研究を若干利用させていただいた。  本書は決して難しい本ではなく、静岡県民が知っておいたほうがよい静岡学問所に関する手軽な研究書である。また樋口さんの史料や…

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【本】青山透子『天空の星たちへ 日航123便 あの日の記憶』(マガジンランド)

 早稲田大学の水島朝穂氏から「直言更新しました」という連絡メールがあった。早速それを読んでみたところ、驚くべきことが記されていた。  「日航123便はなぜ墜落したのか」というテーマであった。本の紹介とともに、墜落にまつわる疑問点が5点記されていた。 http://www.asaho.com/jpn/index.html  今までこの事件については、すっきりしない感情をもちながらも、ずっと調べたりすることなく過ごしてきた。しかしここに記されている点は、きわめて重要な事実であった。  そこですぐに紹介されていた青山さんの本を購入して、昨日一気に読みおわった。導入部分のスチュワーデスに関する説明は冗長に感じたが、それ以降の記述はぐっと読ませる内容であった。水島氏が賞賛するだけの内容を持っていると私も思った。  「事故調査報告書」の結論は、後部圧力隔壁の破損が垂直尾翼などを破壊したというものであった。しかし、隔壁の破損が垂直尾翼を破壊することはないという。問題は、相模湾で日航123便の垂直尾翼はなぜ損壊したのか、である。  この本を読んでみると、自衛隊か米軍による何らかの飛行物体が日航123便の垂直尾翼等を損壊させたとしか考えられない。  本書から読み取れる内容については、水島氏の直言を読んでいただければいいのだが、水島氏があげていないことを記しておくと、この時の総理大臣は中曽根康弘である。こんな大きな事故が起きても、中曽根は軽井沢で遊んだり、友人と会食したり、人間ド…

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【本】池谷薫『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』(新潮文庫)

 圧倒的な事実の累積の前に、ことばもでない。  山西省で、日本兵が残留を命じられ、中国共産党軍と戦闘を交えたことは知っていた。しかしこれほどであったとは。昨日この本を買って、一気に読んでしまった。ここには、軍隊というものの特質、日本政府など権力者の狡知など、ありとあらゆるものが出てくる。  その、ありとあらゆるものは、残留を命じられて生き残った元兵士の目から見ると、あまりに非道で、あまりに残酷で、あまりに惨い。  日本軍では、上官の命令は絶対に聞かなければならない。上官がカラスは白だと言われれば、白と言わざるを得ない。上官の命令は、天皇の命令だからだ。そういう軍隊の中で、卑怯で無能な指揮官の下に生きざるを得なかった兵士は無惨だ。  この本とは関係ないけれど、私は本書に記されているような卑怯で許せない司令官として、牟田口廉也をあげざるを得ない。インパール作戦という、計画そのものがいい加減で成功の見通しが全くないにもかかわらず強行して多くの兵士を殺したものがあった。それを強行したのが牟田口である。多くの将兵を死に追いやった張本人は、戦後ものうのうと生き残り、天寿を全うしている。  この山西省で残留を命じた司令官(そして危険が近づく中で帰国した)、澄田らい(貝へんに来る)四郎も、牟田口と同様の人物である。澄田も軍人恩給をしこたまもらい、89歳まで生き、勲一等旭日大綬章を受けている。そしてその息子澄田智(さとし)は、戦後日本銀行総裁になっている。ところが、命令を受けて山西省で…

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【本】宮崎進『鳥のように シベリア 記憶の大地』(岩波書店)

 宮崎進を知ったのは、NHKの「日曜美術館」であった。8月1日と8日に放送された。  宮崎は、もちろん画家である。どんな絵を描くかは、以下のサイトにアクセスしてほしい。 http://www.shin-miyazaki.com/ http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E9%80%B2&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=76leTMn-NsjXcebQvNoO&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4&ved=0CDsQsAQwAw  宮崎の絵は、重い。描かれている絵は、複雑だ。そこに描かれているのは人間、なのだ。しかしその人間というのは、きわめてやっかいな存在だ。やっかいな存在であることを、宮崎はシベリアで知った。  シベリア、宮崎はシベリア抑留者の一人であった。過酷な環境、過酷な強制労働、過酷な人間関係の中に、突然放り込まれる。まったく予想もしていなかったところだ。  そこで宮崎は決定的な体験をする。人間の絶望と希望を、見いだすのだ。もちろんその希望とは、絶望のただなかに少しだけ顔を出す希望なのである。だがその希望はあまりに稀少であるが故に、何という輝きか。  「光みつる大地」という絵がある。そこにこう書かれている。  大地の記憶  地にそそぐ光は闇を押しひろげ、  すべてが溶けて流れるよ…

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【本】ハワード・ジン『爆撃』(岩波ブックレット)

 アメリカの歴史学者・ハワード・ジンさんは、今年1月27日、87歳で亡くなった。ハワード・ジンさんは、『民衆のアメリカ史』(邦訳は、明石書店 日本語に翻訳すると長くなる、上下二巻)の著者として高名であるが、いろいろな歴史的事件が起きたときの適切なコメントは、人間の良心を表すものとして世界から賞賛されていた。  さてそのハワード・ジンさんが、生存中から企画していた本が、岩波書店から出版された。良い本だし、是非多くの人に読んでもらいたいと思う。560円+悪税という価格である。  この本は、二つの研究が載せられている。一つはヒロシマ、もうひとつはロワイアヤン爆撃である。ハワード・ジンさんは、第二次大戦中空軍の兵士として参戦し、アメリカ軍のフランスのロワイヤン爆撃を担った。もちろんそのときは、自らは正しいことをしていると思っていた。  だが、ロワイヤン爆撃について調べていけば行くほど、ドイツ軍との戦争の上で、その爆撃は不要であったということが明確になっていった。ではその爆撃で多くのフランスの民間人が亡くなった。この事実に、ハワード・ジンは愕然とする。  そして人類に対する犯罪であるアメリカの原爆投下についても、ハワード・ジンは研究を重ねる。ロワイヤン爆撃と同じ構図がそこにはあった。  ハワード・ジンは、この本の「序」において、こう記す。  私たち歴史家は、原爆の使用に軍事的必要性がなかったという証拠をもって戦略的論議に答えようとしてきたが、それだけでは不十分だ。わた…

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