「メディアの壁」と学校

 
 「メディアの壁」ということばが、なぜか現在の社会状況の本質を捉えているような気がする。この言葉は何で読んだのか記憶にはないが、最近『アルジャジーラとメディアの壁』(岩波書店)が刊行されたことによるのかもしれない。この本は注文してあるが、いまだ来ずであるが。

 さて小林由美『超・格差社会 アメリカの真実』(日経BP社)を読み終えた。本の内容と、このブログのテーマがあわないと思われるかもしれないが、本書に「アメリカの外交政策の実態について、アメリカの一般人はほとんど知らない。朝晩30分ずつの全国ニュースの中で、外交や戦争について報道されるのはせいぜい5分で、それが唯一の情報源という人が大半だ。その5分のニュース時間のうち半分以上は政府側の話が流れるわけだから、事実報道に費やされる時間はせいぜい1~2分に過ぎない。それだけの情報しかなかったら、何が起きているかを正確に判断することは不可能に近い」(239~40頁)という文があった。

 テレビをはじめマスメディアが発達すればするほど、人々は『壁』に囲まれる度合いが強くなるという逆説。

 最近テレビについては、見たい番組がほとんどない。私にとっては「くだらない」ものが多い。しかし、テレビ局は視聴率を稼ぐために、アホらしい番組を垂れ流している。特にゴールデンタイムと言われる時間が、もっともアホらしい。本来国民に流されるべき情報は、アメリカならずとも、日本でも流されない。アメリカも日本も同じ状況にある。

 次に「悲惨な状況にある公立学校の実態」という項目には、「教育に対する社会的尊敬の念が乏しく、教師の報酬も低いなかで、学校や教育の質を高めることは難しい。したがって教育を重視し、かつ高い教育費を払える層は、家庭教師を雇うか、自らの手で私立学校をつくることになった。(中略) ・・学校が生徒に実益を与えれば、生徒は学校に興味を持つはずである。生徒が興味を持たないということは、生徒に実益のないことを学校が教えているからにほかならない。だから学校は、生徒が興味を持つように努力しなければならないー。このロジックに基づいて、学校の教科にはスポーツや音楽など、娯楽性の高いものが増えた。そしてその教育成果を証明し、かつ実利をももたらすようなスポーツ・チームや音楽バンド、チアリーダーなどの強化に資金が回され、読み書き算数などの基礎学科は、生徒に過酷な負担を与えないよう、時間も履修内容も減らされていった。」(183~4頁)と書かれていた。

 なるほど、これも日本で実施されていることだ。中学校の教科書をみると、私が学んだ頃とまったく異なり、字はあまりなく写真や絵がふんだんに使われている。学ぶべき事項はひどく少ない。これでは、教育意欲がある家庭は、子どもを私学に行かせるだろう。実際そうなっている。
 本当に日本は、何でもかんでもアメリカの真似をしたがる。政治、経済、労働、教育などの政策、「改革」という名の下に、「アメリカ化」が進められる。

 果たしてそれでよいのか。
 メディアも、学校も「知」から逃亡する。人々は様々な「壁」に隔てられる。共通の「知」は失われ、「知」は寡占化される。

 そして「世論を形成するのは、選挙民のオピニオンというよりもセンティメントをポジティヴな方向に誘導するのが効果的な政策になっている。そしてセンティメントの中核にあるのはナショナリズムだから、ナショナリズムを奮起させていけば、政府に対する信頼は揺るがず、アメリカに対する自信も揺るがない」(235頁)
 
 なるほど、これも小泉、安倍が行ってきたことである。「知」から隔離し、理性を麻痺させ、あるいは育てず、感性(感覚)に訴えるべくナショナリズムを煽る。


 「知」によって「壁」を壊すことが求められる所以である。


 

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